登山サークル アウトドアチャイルド

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高尾山のお稚児パレード、見れたのかどうか
投稿日
2022/04/17
朝になると気が変わった。
部屋の中には、先日食べた目玉焼きの匂いがまだ残っている。
昨日の高尾山登山のため、身体にはひどい筋肉痛も、まだ残っている。
だから今日は静かに読書でもして、過ごそうかと思っていた。
——お稚児パレード。
本日(2022年4月17日)に高尾山で催されるそのイベントのことが、ひどく気になっていた。
そしてこんなに〝お稚児パレード〟のことが気になっている自分が信じられなかった。
男女の出会いの会——ついこないだまでは、そこで良い人を見つけようと思い、ずいぶんでたらめなことをした。
フラれること。
傷つくこと。
自分の心と体を酷使することだけが目的だった。
再起不能になるまでは猪のように突進し、力尽きたらいつまでも布団の中で眠り続けた。
ずいぶん無茶なことをしたものだと思う。
あれは一体なんだったのか——
決して満たされることのない熱烈な想い。
当然襲いかかってくる、嵐のような情熱。
自分の中にひそむ、どす黒い、醜悪な生き物。
牛一頭、まるまる貪り食ってみたいという、激しい食欲。
不安。
愛——
出会いの会に出続けても出続けても、なお、足りなかった。
出会いの会の後、歯を軋らせ、夜通し歩いて、徒歩で家まで帰ってきたこともある。
一人だけで二次会をして、居酒屋で二万円以上使って豪遊したこともある。
かつて私の中で、あんなにも燃え盛っていた情熱の炎が、いつの間にかなくなっていた。
あの頃が、私の人生のピークであったなら、今はもう、人生の下り坂に入っている。
冷蔵をあけて、グレープジュースを飲む。
不思議と安らかな気分になっていた。
このような気分になったことは、以前にも何度かあったかのような、不思議な感覚——

気づいた時には、JR高尾駅に来ていた。
そして駅前のファミマでスパイシーチキンを買い占めてやろうと思ったが、残念ながらそれは、たった一つしか売っていなかった。
だから仕方がなく、スパイシーチキン一つと、クリスピーチキン三つと、ほうじ茶を購入した。
そして、高尾山の山頂に向かって、歩き始めた。
高尾梅郷遊歩道——
昨日その道標を見かけ、気になっていた。
だから今日はまず、その道を歩くことにした。
そこから歩き、〝高尾梅の郷まちの広場〟までゆき、そこから蛇滝口で、高尾山の山頂を目指していく。
そのようなルートを、今日は選択した。
しかし、朝起きた時、すでに九時半になっていた。
今から行って、果たしてお稚児パレードを、見ることができるのだろうか。
お稚児パレードの開催時間は、公表されていない。
だから確実にお稚児パレードを見たいのであれば、もっと早く起きて、高尾山薬王院有喜寺付近で、待機していなければいけなかった。
しかしまあ仕方がない。
そういうものは縁である。
今日、高尾山で、お稚児パレードが開催される。
そして私は、〝お稚児〟が大好きである。
だから今日私は、お稚児パレードを見に行きたいと思い、それでまた、二日連続で、高尾山に繰り出すハメになった。
しかし、お稚児パレードについて、ネットで軽く調べてみたところ、以下の情報を目的した。

<受付>
午前9時より 山麓不動院(ケーブルカー清滝駅前)

<場所>
午前11時10分・山上十一丁目茶屋前発
薬王院本堂着 12時30分予定

これはとても有益な情報だ。
この情報は、もっと早く知っておくべきだった。
お稚児パレードが終わってしまった今になって、その情報に気づいても、時すでに遅し。
もしこの情報を前もって知っていたら、お稚児たちの後ろについていって、ずっとお稚児たちをストーキングしながら、登山することもできたのに。
まあいい。
それは仕方がない。
済んだことを悔やんでも、仕方がない。

とにかく今日、私は九時半に起床して、それから高尾駅にゆき、そして高尾梅郷遊歩道を歩き、〝高尾梅の郷まちの広場〟までゆき、そこから蛇滝口で、高尾山の霞台園まで登った。
そして霞台園に到着したとき、すでに時刻は13時であった。
それから私は、薬王院に向かった。
人はとても多かった。
お稚児たちも、たくさんいた。
お稚児とは何歳くらいの子供を指すのだろう。
私の勝手な判断では、お稚児とは、六歳以下である。
私はそのように、勝手に判定する。
そう判定しながら、道ゆく子供を見かけるたびに、「この子はもう成長しすぎている、お稚児とは、とうてい言えない」とか、「うん、この子はまさにお稚児。どストライクの、お稚児」などとブツブツ呟きながら、道ゆく子供たちを、判定しながら歩いていた。
高尾山薬王院に到着して、大本堂をへて、飯縄権現堂をへて、奥の院不動堂をへて、浅間社をへて、高尾山の山頂に向かっている途中で、お稚児の集団に出くわした。
これがお稚児パレードか!
お稚児たちは、元気よく挨拶をしてきた。
「こんにちは!」(ニコニコ顔)
お稚児たちは、一人残らず元気よく、挨拶をしてきたのだ。
しかしお稚児の人数は、15人とか20人くらいしかいなかったので、それがお稚児パレードのお稚児たちだったのか、あるいは単に、幼稚園か保育園の遠足のグループだったのか、その判断がつきかねるのだ。
お稚児パレードのイメージとしては、大人の修験者(山伏)が法螺貝を吹きながら一緒に歩き、お稚児の人数は百人以上である、そのようなイメージだったが、今日見かけたお稚児の集団は、15人くらい、多くても20人くらいのように思われた。
あれがお稚児パレードのお稚児たちだったとしたら、かなり迫力不足である。
同行していた人たちも、いかにも幼稚園の先生みたいな感じの方達だった。
でも今思うと、あれがお稚児パレードのお稚児たちであった、可能性はある。
「薬王院本堂着 12時30分予定」とのことなので、そこからもし山頂にいったのであれば、そこから戻ってきたときに、私とすれ違ったとしても、おかしくない。
ただ薬王院に12時30分に到着して、そこで解散になってしまっている可能性もある。
おそらく、その可能性のほうが高い思う。
その場合は、私が薬王院に到着したのは、もう13時20分くらいだったと思うので、時すでに遅し、やはり私は今日は、お稚児パレードを見ることはできなかったのだという話になってしまう。
だから私が本日見かけたあのお稚児集団は、単なる幼稚園の遠足グループである可能性のほうが、濃厚と言えるだろう。

本日私が高尾山の山頂に到着したとき、時刻は13時43分ごろであった。
一応いつものごとく、大見晴台から富士山が見れるかどうかだけチェックしてきたが、今じぶんは、たいてい富士山に見れなくなってしまっている。
しかしその場で風景を眺めていた家族は、「本来はここから富士山が見えるはずだが、今日は残念ながら見えないようだね」などと、知ったかぶったような発言を、父親らしき人がしていたが、いや違う、そうではないのだ、今じぶんは、たいてい富士山は見れない時期なのだ。
冬とかじゃないと、なかなか富士山を見ることは、できないものなのだと、私は内心思った。
実際に私は最近、五回ほど高尾山の山頂にきているが、その五回とも、富士山が見れたことはない。
基本今の時期は、富士山はなかなか見れないものであり、見れることのほうが珍しいのだ。
そんなことを思いながら、私は下山を始める。
するとムササビを探している家族に出くわし、子供たちが一生懸命ムササビを探していたが、その母親が「今はムササビ寝てるから、どこにもいないよ!」と、イライラしたような口調で怒鳴っていた。
それに対して子供たちは、「じゃあ今ムササビ、どこで寝てるの?」と聞くと、母親は、「木の上だよ!」と、怒鳴っていた。
しかしこれもまた、ずいぶん適当なことを子供に教えているものだなあと思った。
木の上というよりも、樹木にあいた穴の中とかに、潜んでいるのではないだろうか。
私も詳しくはしらないが、「昼はムササビは木の上で寝てるんだよ!」という説明は、いささか乱暴すぎはしないかという印象を、持ってしまった。
子供の質問に対して、親はきちんと答えるということが、あまり出来ていないように思われる。
こないだも子供が、「高尾山って、なんで天狗がいるのー?」などと親に質問していたが、親は、「さー、なんでだろうねえ。お父さん、わかんないや」などと、だらしない発言をしているのを、耳にしてしまった。
なんという不甲斐ない親だろうか。
高尾山に天狗がいる理由は、高尾山の薬王院の御本尊の飯縄大権現自体が鴉天狗であり、その随身が(つまりお供の者が)、大天狗、小天狗なわけで、だから高尾山には天狗はつきもの。
天狗こそ、高尾山の象徴。
そのような話であるにもかかわらず、わざわざ高尾山にきている分際で、なんとそんな初歩的なことも知らずに高尾山を訪れるとは、まったく信じがたいような、だらしない話である。
そんなふうだから子供の知能レベルは親と同様以上には、決してなることはないのである。
そこでしっかり大学教授然として、正しい情報を子供に教えてあげるとか、あるいは、「なんでだろうね、ごめんね、お父さん、わからないや。でもわからないことは、恥ずかしいことだよね。そうだ、けんたくん、家に帰ってお父さんと一緒に、そのことについてとことん調べてみようよ!」などと、建設的、前向きな発言が、どうしてできないのだろうか。
まったく、そんなことでは日本の未来は、うぉう、うぉう、うぉう、うぉう、世界がうらやむ、へいへいへいへい♪
だぜえ。
まあいいや。
とにかく、それからはまっすぐに、一号路で下山した。
その途中に、知的集団に出くわした。
その集団のトップリーダーの方は、赤い服を着て痩せていて、60歳くらいの人だったのだけど、とても知識が豊富な方のようだった。
その集団は、とある杉の前に立ち、話をしていた。
赤服トップリーダーいわく、「屋久島の縄文杉なんかは千年も生きるが、この杉は品種改良されたクローン杉なので、せいぜい百年くらいしか生きれないんだぜえ、ふっふっふ」と、皆の衆に説明していた。
それに対して皆の衆もそれぞれ、賢そうな発言を繰り広げていた。
なんという博学か。
私は思わず、その赤い服を着たトップリーダーの顔を、まじまじと眺めてしまった。
そこに生えている杉の寿命がせいぜい百年と、ひとめで見破るその人の炯眼ぶりに、心底恐れ入った。
もしかして、名のあるお方なのかもしれない。
高尾山の植物や樹木について、お詳しい方のようである。
もしかしたらそういう勉強を、大学とか大学院とかで勉強して、そしてその後、高尾山について、本の一冊や二冊、上梓しているような、とんでもないバケモノなのかもしれないと思った。
それで私はしばしそのグループをストーキングしながら、その方の博学ぶりに舌を巻きながら、一号路を下りきり、本日の登山は、これにて終了と相成った。

それから紅葉屋本店で、「天ぷらとろろ山菜そば」を、心底食べたいと思ったが、それは1800円もするので、今回は我慢した。
私は四月末で今の仕事が終了となってしまい、五月からは無職、ニート、無収入となってしまうのである。
そんな社会の底辺に、転落してしまうのである。
だからそんな1800円のお蕎麦とか、絶対に食べるわけにはいかない。
本当は呑気に高尾山に来て良いような、一人前の身分ではなく、まさにカースト制度の最下級、スードラ、奴隷階級、そのような階級に、転落人生してしまったものだから、本当はもうそろそろ、市役所に行って、生活保護の申請でもしなければいけないような、そんな身分の、フレッシュニート野郎なわけである。
でもまあ今日は、どうしてもお稚児パレードが見たかったので、まあそれは致し方あるまいよ。
とは言っても、きっとお稚児パレード、見れなかったのだと思う。
さてそれから最寄りの駅まで帰ってきて、スーパーで、ポテトチップスと、カレールーと、冷凍エビを、購入した。
家に餃子の皮があるので、冷凍エビを餃子の皮に包んで、焼いて食べてみようかと思っている。
それで家に帰ってきてまず、冷凍エビをボールに入れ、そして、おろしにんにくと、おろししょうがをたっぷり入れ、さらに醤油をどばどば入れ、そしてよく混ぜて、それにラップして、冷蔵庫に眠らせてある。
それを餃子の皮に包んで、蒸すなり、焼くなりして食べるのは、明日以降になるだろう。
今日はそれとは別に湯を沸かし、日清のカップラーメンを食べ、あとは目玉焼きを四つ作って、それを食パンに載せて食べた。
さらに、にんじん、しめじ、玉ねぎ、長ネギ、にんにくで、野菜のみのカレーも作って、食べた。
カレールーは、ジャワカレー辛口を使った。
そして今日また買ってきたカレールーは、ゴールデンカレー辛口であった。

まあ今日の登山は、そんな感じであった。
今回は高尾梅郷遊歩道のことも、蛇滝口コースのことも、樹木のことも、花のことも、野鳥のことも、何もかけていないことについて、もうしわけなく思う。
ただ花にはひとかけらの興味もない私であるが、今日は際立って美しい白い花をみかけ、思わず私はその花を、スマホで撮影した。
そしてその花の名を、〝ホワイトフェアリー〟と名付けた。
その花の本当の名前は、なんなのだろう。
君の名は?
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