登山サークル アウトドアチャイルド

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2026年1月13日
投稿日
2026/02/17
 2026年1月13日。火曜日。7時43分。青梅行きの電車の中。温かい蕎麦茶を飲んでいる。
 私は私であるために、書けなくなることがない。面白いことを書けないとき、価値あるものを書けないとき、人は書けないと嘆き、書くことをやめてしまうが、私は私であるために、それでも書けなくなることがない。
 誰一人この文章を読みたいと思う他者はいず、私自身も読まない。そんな文章を無限に書き続けることは、生産性を気にする者にはできない。人は無意味なことをしつづけることができない生き物だから。
 ずっと取り組んでいた一万七千文字を超える小説が丸々まったく面白くないことに気づいてしまった私は、流石にめげた。内容が良ければその文章をまたいちからじっくり作り直してみようかと思うこともあるだろうが、内容もまたしょーもない。その文章をいちいち直すことは、完全に無為。この短い人生の中ですでに夏目漱石よりも歳上になったというのに、そんな無為なことをするために時間を費やしてしてしまうことは、流石の私でも躊躇われた。
 だったらもうそれは放置してしまうのかというと、そんなことはない、やる、最後まで。書き直す、最初から。
 でも、つまんねえ。一万七千文字も書いてからダメダメに気づくとか、もうほんと、どうしようもねえ。
 だったらやっぱり最初から作品は短い小説ばかりを書いた方が良かった。文字数四千文字以内の坊ちゃん文学賞を視野に入れた感じで。文字数一万文字以内の星新一賞なんかを視野に入れた作品でも良い。短い作品の方が何度も最初から書き直せるから。
 文字数四万文字を超えるような小説を書き直すとなると、流石に大変。
 滅茶苦茶長い小説も一つ書いたけど、ダメなところだらけなため、それをまた一から書き直そうとは思わない。ダメなところが一つもないような感じじゃないと、続きを書く意味はない。
 やはり文章をだらだら長々と書き続けるのは問題。やっぱりひとまずは四千字以内くらいに収めた方が良い。書いた文章を何度も推敲してフィックスまで持ち込むのはとても大変なことなんだから。
 そしてやっぱり、少しは企まないと。なんの狙いもなくだらだらと書き続ける、まさに今書いているこんな文章なんか、一番ダメ。そこには何一つ狙いがないんだから。
 でもそれでもロボットがランダムに書くようなゴミクズ文章がネット上に大量投稿されているような現代ネット社会であれば、単に本物の人間が書いているというただそれだけのために、それなりに価値があり、そのためそんな文章を載せたホームページのグーグル検索の順位が上昇したりもする。しかしその内容を本物の人間が読めば、ロボットが書いたものと全く変わらないどうしようもないゴミクズ文章であることが分かってしまうため、だったら鼻から何も書かない方が良い。書けば書くほどボロが出て、書き手の内面の醜悪さもバレてしまうから。
 などということを思いながら、拝島駅のホームの休憩室で、私は温かい珈琲を飲みながらこれを書き続けていた。昨日まで書いた随筆的な恥を晒すだけの効果しかないようなロボット文章も、一応全部ホームページに投稿しようと思っている。
 しかし別にそれをしなくても良い。それよりかちゃんと意味のある文章の創作に取り組んだ方が良い。
 しかし推敲待ちの全ての自作文章の内容のすべてが、しょーもないのである。それをわざわざ推敲してネット上に投稿することには、何の意味もない。
 じゃあ聞くが、一体なんだったら、意味のあることだというのか。金を稼ぐことだけが意味のあることだというのか。
 全然金とは関係ないことの中にも、意味のあることはある。
 結句、人間は愛を中心に生きている。その獲得やそれを守ることを中心に生きている。
 子供が熱を出しているのに会社に行くような奴はダメ。身内の入院のお見舞いを会社のパワハラ上司から許可されなかったら、その会社を辞めてしまうような気持ちの強い人間じゃないとダメ。会社の都合を優先して、愛のことを犠牲にしてしまうようではダメ。
 しかし私は常にそんな人間であった。パワハラ上司が怖くていつも会社の都合を最優先する会社の奴隷であり続けていた。
 その裏で、いつも愛は泣いていた。
 これぞまさにゴミクズ。不良とか犯罪者のほうが百万倍も人間らしい。そんなスーパーエゴイストたちは気が強くて人からなんと思われようと愛のためだけに生きているから。
 気が弱い者はダメ。愛のない冷たい赤の他人のために自分の愛を犠牲にするようではダメ。
 しかし、思い浮かんだアイデアは、とりあえず形にしてみた方が良いのだろうか。どんなにつまらないアイデアでも、実際に形にしてみた方が良いのだろうか。
 私ならそれでも良い。どうせ私だし。誰も書かないようなしょーもないことをぬけぬけと延々と書き続ける図々しいボケナスが、私じゃね?
 本当はきちんと小説を書いたほうが良いのは分かっている。しっかり企んで何か書いた方が良い。流石の私でも、そのくらいのことは分かる。
 しかし何も書けないなら、何も企みが思い浮かばないなら、そんなときは仕方がない、何も考えず、行き当たりばったりで、なんか適当に書いていくのが、私じゃね?
 そんなことを思いながら、立川に向かっているのはなぜかというと、ブックオフや本屋で町田康の小説を見て、そしてその購入も検討しているからだ。
 検討しているというよりも、少なくとも一冊は買うだろう。大量買いする可能性もある。
 昔、面白いと思った町田康を再び読み、やっぱり面白いと思った。だからまた集中的に読んでみようかと思った。それで立川に向かっている。
 無職の分際ではあるものの、年末年始は思ったよりも節約できたので、今でも少しくらいの贅沢はして良かろうと思っている。
 数学の勉強も順調だ。今日もまた家に帰ってから数学のユーチューブ動画を観るつもりだ。シュレーディンガー方程式も段々と分かってきた。
 というわけで、町田康の小説は、「くっすん大黒」のみを仕入れてきた。
 もう帰宅しても良い頃合いだ。一日分の水分は充分に飲んでいるので、もう何も飲まなくて良いが、しかしトマトジュースを三本ほど仕入れたくも思う。
 家にはうどんにかけるために作られた味噌汁もある。人参、玉ねぎ、大根、蜜柑、カップラーメン、蜂蜜、米、プチトマト、もある。
 私は私だから、文章を終わらせることができない。書くことが尽きないからだ。私は誰よりも長々と書き続けることができる。それは私が私だからだ。
 11時3分。青梅行きの電車の中。ドアの前。本日は快晴。優先席に座る。
 何か肉でも焼いて食いたいところだが、味噌汁を早く食ってしまわないと、それを腐らせてしまう。先日、野菜を大量に買ってしまったは良いが、それの消費のし方に困る。大量人参はどうしたものか。カレーかシチューの具にするのが良いか。
 酒を飲みたいところだが、それは飲むまいと思っている。ただ、酒を飲まないことだけを考えている。後は何をすることも許されている。
 連日数学の勉強をしているため、段々数学が分かってきた。しかし数学というものは、なんと公式が多いことか。その公式を使うことで、計算の量が減る。
 東大の入試問題を解くユーチューブ動画作成を考えたが、それには著作権があり、営利目的の利用はできない。問題を自作するのは面倒だ。
 勉強系のユーチューバーを目指そうかなどと考える。受験の数学は難しく、ユーチューブ動画を観てもなかなか理解できない。だから参入の余地があるように思えている。わかりやすい授業動画を作成できれば、視聴回数一万回を達成できるのではないか。工夫次第では、登録者一万人も目指せるのではないか。
 人間としての成長目的で、それを目指してみるのも面白そうだ。
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