登山サークル アウトドアチャイルド

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奥多摩の酉谷山に行ってきました
投稿日
2018/04/08
2018年4月7日土曜日に奥多摩の酉谷山に行ってきた。
始発で行こうと思って3時30分に目覚ましをセットしたのであるが、とても眠かったのでいったんは登山を中止にした。
そして次に起きたのが7時で、これからでも行けそうだと思い、それから支度をして登山に出かけた。
奥多摩に到着してバスに乗って東日原に到着したのが、10時頃だった。
それから登り始め、一杯水避難小屋をへて、酉谷山の山頂に到着したのは15時15分ごろであった。
その日は曇りで、酉谷山への道のりは、霧で真っ白だった。
それがまた、とても味のある雰囲気だった。
山の奥の奥に来たという、霊気漂うような雰囲気だった。

登山開始直後にカメラを首にぶら下げた五十代後半くらいの男性とすれ違ったきりで、その後は一人もすれ違わなかった。
一杯水水避難小屋も、酉谷避難小屋も、誰もいなかった。
酉谷避難小屋は狭かったがとてもきれいだった。
トイレもきれいだった。
銀マットまどの畳んだものが何枚か置かれていた。
おそらく定期的に人がきて掃除や片づけを行っているのだろう。
そういえば、鷹ノ巣山の避難小屋もとてもきれいな避難小屋だった。
一杯水避難小屋はけっこう広々としている。
酉谷避難小屋の三倍くらいの広さである。
しかし一杯水避難小屋のほうには銀マットは置かれていなかった。

酉谷山に向かう道のりで、すごく大きな鳥がいきなり無言で飛び立ってびっくりした。
薄い茶色のふくろうのような姿に思えたが、一瞬の出来事だったので、ほとんど姿は見えなかった。
あと青い小鳥が軽やかに飛びまわったりしていた。

今回の登山にかかった交通費は私の家からは近場の奥多摩であったので、かなり安かった。
片道で電車賃が464円で、奥多摩から東日原までのバス賃が460円で、片道の合計は924円で、往復の交通費は1848円で済んだ。

酉谷山の山頂に到着したときはかなり感激した。
ずっと来たかったがなかなか来る機会がなかった酉谷山にとうとう来ることができた。
おそらく奥多摩で一番深い山である酉谷山に、とうとう来ることができた。
なかなか感慨深いものあり、思わず山頂の標柱を手で触ってみたりもした。

酉谷山の山頂の近くには酉谷避難小屋がある。
そしてそこには誰もいなかった。
貸し切り状態である。
本当は避難小屋の前あたりにテントを立てようと思っていたが、避難小屋のまわりにテントを立てれる場所はなかった。
入り口の目の前に立てることはできたが、さすがにそれはやめておいた。
貸し切り状態なので、避難小屋で一夜を過ごそうかとも思ったが、誰か来るかもしれないので、結局は山頂から少し下ったところにある平らな地面のスペースにテントを立てることにした。
テントを立てている最中に六十歳くらいの男性が通りがかった。
芋の木ドッケ方面から酉谷山に登って、降りてきたようだ。
テントを立てている私を見て、苦笑いをしているように見えた。
「こんにちは」と挨拶すると、男性はしばし足を止め、「大丈夫ですか、小屋・・・」とつぶやいた。
「大丈夫です」と私は答えた。
男性はおそらく「小屋が近くにありますからそちらで泊まったようがいいですよ」と言いたかったのだと思う。
男性が通りがかったのは15時44分だった。
その男性は、パトロールかなにかの方だったのかもしれない。
その方は避難小屋で宿泊したのだろうか。
あるいは一杯水避難小屋で一夜を過ごしたのだろうか。
一杯水避難小屋まではそこからまた二時間くらいは歩かなければいけない。
もしそこまで歩いたとしたら、小屋の到着は17時44分すぎということになる。
今の時期であれば、まだまだ暗くはなっていない時間帯だろう。

風が強くてテントを立てるのに少し苦労しながらテントを立てた。
そして早速中にもぐりこんだ。
長い長い夜のはじまりだ。
テントの中ではノートにボールペンで文章を書いていた。
だんだんとあたりは暗くなってきて、18時30分くらいには真っ暗になった。
そこからは、懐中電灯やヘッドライトを使ってノートに文章を書いた。

山頂はかなり寒く、雨が降り出したかと思ったら雨ではなく、アラレのようだった。
今回はバーナーを持ってこなったが、持ってくるべきだった。
山頂はとても寒かったので、温かいお湯がとても飲みたい気分だった。

19時、19時30分と、ちょっとふざけたような内容の文章をノートに書き続けた。
すると外で足音のような音が聞こえてぎょっとした。
テントの中ではウイスキーを飲んでいた。
恐る恐る外を見てみると、誰もいない。
とにかくとても寒い。
アラレがぱらぱらと降り続けている。
外に出て小用を足したりもしたが、やはり外には誰もいなかった。
テントに戻り、文章を書く。
やはり足音のような音が聞こえる。
そしておまけに、人の声のような音が聞こえたような気がした。

幽霊?

ノートに書いている文章には、幽霊疑惑のことについては、一切書かなかった。
かなり怖くて、体がぶるぶる震えた。
ウイスキーをぐいぐい飲んだ。
呑気にノートに文章を書いているような気分ではなくなり、寝袋に入って気を落ちつけようとして、しばし横になっていた。
バカなことなどを考えて気を紛らわそうとしたが、体の震えは止まらなかった。
酉谷山で遭難した人の霊とかがたくさんいるのではないだろうか。
そんなことを考えてしまう。
今にも出てくるのではないか、と思えた。
すごく怖かった。
私は幽霊とかはまったく信じていないが、百パーセントいないとは言い切れない。
なんとか横になって無の心境になって恐怖をやり過ごそうとしたが、体の震えは止まらない。
まだ20時くらいであった。
長い夜ははじまったばかりだ。
なにか良くないことが起こるのではないかという心配があった。
20時でこんなに怖いんだったら、0時過ぎとかどれほど怖いだろうか。
これはあまりにも長すぎる夜になると思った。
とにかく早く朝になってほしい。
それだけを願った。
持ってきた180CCのウイスキーはすぐ空になってしまった。
本当はあまりにも怖いので、今すぐ避難小屋のほうに移動したいような気もしたが、ウイスキーを飲んで顔が真っ赤になっており、酔っ払い丸出しのような状態になってしまっていたので、避難小屋に移動するのはかなり抵抗があった。
先ほど通りがかった男性がおそらくいるのではないと思った。
その人もいきなり酔っ払った男が小屋に来たらびっくりするだろう。
とても怖かったので、ウイスキーをもっといっぱい持ってくればよかったのにと思った。

もしかしてここは、心霊スポットとか、そういった類の場所なのではないだろうか。
幽霊が出てくることで有名な廃墟になったトンネルなどがあるが、そんな類の場所ではないか。
私はそういったトンネルの中でテント泊をしているような状態になっているのではないか。
今にも幽霊が出てくるのではないか。

しばらくずっとこんなふうに、体を震わせながら横になっていた。
ほとんど命の危険を感じた。
前に谷川岳で雪庇が崩れて落ちてしまった時も、こんな感じだった。
もうふざけてる余裕なんか少しもない。
ふざけた感じの文章なんか書いてる余裕はかけらもない。
そんなふうにふざけていると、何か良くないことが起こりそうな気がした。

しばらく横になったあと、今度は真面目に文章を書き始めた。
真面目に本音で文章を書いた。
するとだんだんと恐怖が薄れてきた。
耳を澄ますと、ときどき動物の鳴き声が聞こえてきた。
それが私を安心させた。
動物は確実に生きているもので、幽霊ではない。
確かに生きている動物は、私の仲間である。
クマもシカもサルも私の仲間である。
彼らは幽霊ではない。
確かに生きている動物だ。

人の足音のような音、それは単にフライシートが風になびいている音であることに気付いた。
人の声も気のせいか、なにかの音がたまたまそんな風に聞こえたのだと思う。

動物たちにとっては昼も夜もない。
彼らは夜の山を恐れたりしないだろう。
ツキノワグマやフクロウは夜行性の動物である。
彼らは昼に寝て、夜に行動する。
彼は幽霊なんか恐れない。

幽霊を恐れるということは、人間の想像力が生み出した恐怖であると思った。
人間の想像力のようなものを持ち合わせていない動物たちは、幽霊なんか恐れない。
彼らにとっては昼の山も夜の山も変わりはない。

そんなようなことを考えていると、恐怖心はきれいさっぱりなくなった。
家のベランダでテントを立てて寝ているのと、ほとんど同じような気分になった。
もちろんここは家のベランダではない。
標高1712メートルくらいの酉谷山の山頂付近の場所である。
しかし人間を恐れているツキノワグマが襲ってくるということはないだろう。
シカが突っ込んでくることもなかった。
シカが突っ込んでこないように、常夜灯みたいなものを用意したほうがいいのではないかとも思ったが、それは特に不要なようだった。

酉谷山の遭難者の幽霊が出るのではと恐れるのもおかしい。
それを言うなら雲取山だってたくさんの遭難者を出しているので、同じく幽霊が出るはずだ。
しかし以前に雲取山の奥多摩小屋の付近でテント泊したときも、幽霊なんか出なかった。

幽霊に対する恐怖はきれいさっぱりなくなったが、とにかく寒かった。
今回は銀マットを持ってこなかった。
テントの下は枯れ葉が敷き詰めてあったので、枯れ葉が冷気を遮断してくれるのではないかと期待したが、全然そんなことはなく、下からの冷気はとても伝わってきた。
寝袋は冬用の寝袋を持ってきていたのだが、下からの伝わってくる冷気がとても寒くて、もう寒くて寒くて、一晩中、ほとんど眠れなかった。
あれこれと態勢を変えたりしてみたが、どんな態勢になってもとても寒くて、全然眠れない。

本当に、銀マットを持ってこなかったのは完全に失敗だった。
今回は装備の不足が多すぎた。
熱い湯を飲むためのバーナーも必要だったし、ニット帽、手袋、ジャンバーなども必要だった。
とにかくまだまだ寒くて、アラレだか霙だかは降るし、朝起きたときにはペットボトルに入れた水はシャーベット状に凍っていた。
朝起きてからは下山をするのであるが、下山には4時間以上かかる。
下山も一苦労である。
だからしっかりと休んでおいて、下山に備えて体力を養っておかねばならない。

酉谷山に来るときに、途中で天目山(三ツドッケ)という山を経由するはずだったが、スルーしてしまった。
だから下山時に天目山の山頂もできれば通りたい。
しかしもう、早く家に帰りたいという気持ちばっかりなので、もう今回は天目山はいいかなーという気にもなる。
とにかくすべては下山時の体力次第である。

とても寒かったのであるが、多少は眠れて、朝を迎えた。
4時40分くらいにはけっこう明るくなっていた。
早朝はすごく寒い。
本来であればここでバーナーで湯をわかして、湯をいっぱい飲むところであるが、今回はバーナーを持ってきていないので、湯を飲むことができない。
とにかく外に出て、テントを畳みはじめた。
さっさと下山して家に帰りたかった。

地面に突き刺さった杭。
地面は凍っている。
しかし私は、トンカチを持ってきている。
トンカチの後ろには杭を引っこ抜くのにちょうどよい切れこみがある。
地面が凍って杭が抜けないという失敗は前に奥多摩小屋でテント泊したときに経験済みだ。
同じ失敗をしないように、私は切れこみ付きのトンカチを用意している。
そのトンカチで杭を抜くと、地面の土ごと、杭が抜けた。
杭だけが抜ければよいのだが、固まった土もどっさりついてくる。
仕方がないので、土ごとビニールに入れて持って帰る。

テントの杭も棒も、冷たくなっていてまるで氷のようである。
それを素手で扱うのだから、指先の感覚がなくなってしまう。
手をこすりながら作業しなければいけない。
それでも手がかじかんで、ヒモなどがほどけない。

なんとか苦労してテントを畳み終えた。
畳んだテントや杭、棒などは、リュックにつっこんだ。
家に帰ってから丁寧に片づければいいと思った。
とにかく今はもう早くテントを片づけてさっさと下山を開始したい。

そして5時くらいから下山開始。
歩いているうちにだんだんと体も暖まってきて元気も出てくる。
大福やチョコレート、アメ類などの食料や飲み物もたくさんある。
今日はこのまま下山するのではなく、蕎麦粒山まで行ってから下山しようか、あるいは、蕎麦粒山よりさらに進んで、棒の折山まで行ってから、川井駅まで下ってこようかなどと、野心的なことを一瞬は思ったが、さすがにかなり疲れているので、そんな大冒険は今回はやめておいた。
でもそんな風に考えるくらいなので、かなり元気になっている。
天目山の山頂くらいには寄れそうである。
下山していると、6時45分くらいだったか、屈強そうな男性とすれ違った。
一体どこから来たのだろう。
5時くらいから登山をはじめた人なのか。
いかにも体力がありそうな感じの人だった。

しばらく歩き続けて、天目山への分岐点に到達する。
そこで天目山に通じる道を登っていく。
かなりの急坂である。
ところどころ、ほとんどよじのぼるような感じの急坂もあった。

そして天目山(三ツドッケ)に到着。

いや、ちょっと待った。
酉谷山から一杯水避難小屋への道のりの途中。
一か所すごく見晴らしの良い場所があった。
そこだけ一か所突き出ていて、そこに立つと、見事に雄大な景色を眺めることができた。
登山時には霧のため真っ白だったが、下山時には霧も晴れ、大迫力の雄大な景色を眺めることができた。
富士山もしっかり見えた。

そして天目山。
正直天目山はあまり期待していなかった。
別にスルーでもいいかなと思っていた。

しかし天目山、けっこう良かった。
景色がとても良い。
富士山もばっちり見える。
山頂はとても気持ちのよい場所である。

山頂はとても狭い。
十二畳くらいの広さだろうか。
しかし景色はとても良い。
あれは一回くらいは見に行ったほうがいいと思う。
天目山の山頂、なかなかおススメの場所である。
ここはスルーしなくてよかった。
山頂の景色でいうと、酉谷山よりも天目山のほうが良い景色である。
天目山の標高は、1575メートルだ。
日帰りで登れる山なので、天目山はぜひ一度くらいは登ってみたほうがいい山だと思う。

酉谷山で登山イベントをするのであれば、一泊二日になるだろう。
酉谷避難小屋はとても狭くて、5~6人で満員という感じであるので、宿泊の場所は一杯水避難小屋のほうが良いだろう。
そこはけっこう広々としている。
小さいが、トイレもあることはある。

下山時にはたくさんの人たちとすれ違った。
15人くらいの人とすれ違ったのではないだろうか。
6時台とか8時台とか早い時間帯ですれ違った人たちは、おそらく酉谷山を日帰りで登るのだと思う。
遅い時間ですれ違った人たちは、おそらく天目山を目指してるのではないかと思う。
しかし天目山の道のりはとてもわかりにくい。
一杯水避難小屋で二つの道にわかれていて、その道がわかりにくい。
小屋からの急坂の道のりを登っていくと、天目山に到着することができる。

バスの時間のほう、10時10分のバスがあった。
それを逃すと11時29分であった。
そしてコースタイム通りに歩くと、東日原のバス停到着は10時14分くらいになりそうだ。
だから「ここからはトレランだ!」とかつぶやいて、走ったり歩いたりしながら、急いで下山した。
でも狭くて危険な道も多いので、そこは慎重に歩かなければいけない。
でも基本早歩きで、広くて安全な下りの道は軽く走ったりしながら下山した。
そして9時47分にバス停に到着することができた。
コースタイムよりも27分も早く到着できた。

10時10分になるとバスが来た。
バスに乗った。
奥多摩駅まではそんなに時間はかからないが、疲れていたせいか、軽く車酔いしてしまった。
奥多摩駅に到着して、下車。
もえぎの湯は9時30分から営業してるみたいなので、もえぎの湯によって帰ろうかとも思ったが、今回は節約のためやめておいた。
どうも私はまだあまり温泉の良さがよくわかっていない。
しかし登山のあとの温泉は最高と言う人も多い。
だから私も温泉の良さをしっかりと知らなければいけない。
でも今回は節約していかなかった。
本当はちゃんと温泉の気持ちよさも理解して、人に勧めることもできたほうがいいに違いない。
登山と温泉はどうもパックになっているような感じもする。
温泉まで案内できて初めて、登山の醍醐味を満喫してもらえるのではないかという風にも思わないでもない。

奥多摩駅で「こんにちはー」「今から登山ですか?」「どこに登られるんですか?」と、にこやかな男性に話しかけられたりしたが、かなり疲れていたため、「ええまあ」とか「まだ決まっていません」とか、適当な感じで答えてしまった。
そこで「いや、今登山して帰ってきたところなんですよー」とかいうと、話がふくらんで、しばらく話し込むことにもなったのかもしれない。
しかしあの人は一体どういう人だったのだろうか。
「登山届書いてくださいねー」とか、言おうとしていたのかもしれない。
「どこに登られるんですか?」の質問に対して「まだ決まってません」と答えたので、そこで話は終わってしまったが、そこで、「三頭山です」と言ったとしたら「登山届はお済ですか?」と、さらなる質問が返ってきたのかもしれない。
となるとあの人は、山関係の人なのだろうか。
そういえば、下山している途中でも年配の女性から「もう登ってきたんですか?ピストンですか?」と質問されたが、急いで下っていたのと、やっぱり疲れているというのもあり、「ええまあ」とか、また適当に答えてしまった。
そこもきちんと「いえ、酉谷山に登って、一泊して、そして今下山している最中です」と丁寧に答えたら、話は膨らんだのかもしれない。
しかしそんな風に折角ちょくちょく話かけてくれる方がいるというのに、いつもことごとく適当な返事をしてしまい、話が膨らまず、さまざまなドラマをスルーしてしまっているのかもしれない。
しかし急いで下山していたり、疲れていたりすると、なかなか丁寧なコミュニケーションというのも、難しいものである。

そして電車で帰ってきた。
ロースハムと牛肉を買ってきて、家に帰ってからさっそくロースハムとシーフードヌードルと大根おろしとトマトジュースで食事をした。
それからすぐに自転車で外出して、5000円のスリーピングパックをモンベルストアで買ってきた。
コンパクトサイズの銀マットのようなものである。
これを敷けば、下からの冷気を防ぐことができ、テントの中でも暖かく寝れるはずである。
コンパクトサイズなので、リュックの横に取り付けることができる。
銀マットだと大きすぎて横には取り付けることができず、いつもリュックの入り口のところに取り付けなけばならず、何かものをリュックから取り出すたびに、銀マットをどかさなければならず、そして取り出し終わったらまた取り付けなければならず、かなりめんどくさい。
だからなるべく銀マットは持ってきたくなかった。
しかし今回、コンパクトサイズのスリーピングパックを買ったので、そのめんどくささは解決できたはずだ。

スリーピングバックを購入したあとは、本屋で本を買って、そしてスーパーで寝袋を干すときに、風で飛ばされないように物干しざおに挟むようなフックを買ってきた。
あと、トイレットペーパー、食器用洗剤、オレンジジュース、グレープジュース、キャベツなども買ってきた。
そして家に帰ってきて、映画を二本観た。
そして今、これを書いている。

今回念願の酉谷山登山を実現させることができた。
テント泊も今回で三回目だ。
今後もどんどんテント泊はしていきたいと思っている。
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