登山サークル アウトドアチャイルド

登山サークル アウトドアチャイルド

<<「明日は秩父の天覧山に...」
ブログ投稿アプリ、おそらくできました
投稿日
2018/06/04
アンドロイドのブログ投稿アプリを作っていて、なんとか完成した。

入力画面、確認画面、完了画面の三つの画面だけがあるアプリである。

そしてこれがそのアプリを使った初投稿だ。

とはいっても、今これはメールアプリで書いている。
失敗するかもしれないので、ひとまずメールアプリで書いて、それをコピペすれば安心だ。

書くネタはある。
今日は秩父の、多峯主山、天覧山、日和田山に登ってきた。

6時間以上、たっぷり歩いてきた。

本当は日和田山には登るつもりはなかったが、多峯主山の山頂で、ここって日和田山と似てるね、みたいな会話を小耳に挟み、それで日和田山という山に興味を持った。

いつかその山も行ってみようと思い、ちらりと山と高原地図を見てみると、日和田山、すぐ近くである。
そしてかなり登りやすい山みたいで、高麗駅から往復で二時間くらいである。
それに登る途中に、ロッククライミングの練習場もあるらしい。

これはぜひ行ってみようと思った。

それで最後に日和田山の山頂に行って、それからロッククライミングの練習場の岩場に行ってみた。

そこはとても賑やかだった。
30人くらいの人がいた。

どこかの登山教室の方たちのようだった。

ロッククライミングというと、かなり特殊な、命知らずな、屈強な人たちだけがやるようなものだと思いきや、そうでもないようだった。
いたって普通のおばさんやおねえさん方や、いたって普通のおじさんたちが、頑張って岩を登っていた。
ご夫婦で登山教室に参加された方もいるようだった。
ロッククライミングの先生の、ロープの結び方とか、カラビナの使い方とかを、みなさん熱心に教わっていた。

そんなに運動が得意そうな感じの方たちではなく、ほんといたって普通そうな感じの方たちだった。

ロッククライミングの先生はさすがに、いかにもやってます、って感じの、職人的オーラが出てる方であったが、年齢はおそらく、60才くらいではないかと思った。

ただロッククライミングというよりも、ボルダリングに見えた。
ボルダリングを岩場でやってるって感じだった。

岩場の頂上にロープを固定して、ロープの端はインストラクターみたいな人が持って、もう一方の端は登る人が腰につけているようだった。

そして登る人は疲れるとすぐにブラーンとぶらさがって休む。
なんか落ちたら死ぬ、ケガをする、という緊張感はあんまり無いようだった。

インストラクターの人がしっかり支えているので、登る人は安心して登っていた。

岩場の上にロープを固定した人は大変だったにちがいないが、そのロープを使って登る人たちは、ボルダリングとまったく同じである。
あれだったら、岩殿山や、伊豆ヶ岳の鎖場のほうがよっぽど危険である。
あそこは落ちたら死ぬところなので、スリル満点な場所だった。

でもロッククライミングに興味ある人、けっこう多いみたいだ。
登山にのめりこむと、ロッククライミングもやってみたくなるものだ。
わたしも機会があればぜひやってみたいなと思っている。

ボルダリングも機会があればぜひやってみたい。

登山教室も、入会してみたいような気がする。
ロッククライミングとか、雪山とかは、体力だけあればできるというものではなく、知識や技術が必要だ。
それをぜひ学びたいと思う。
専門学校みたいな感じて、登山学校があればいいのにと思う。
一年くらいみっちり学んで、雪山とかロッククライミングとか沢登りとか、すべて網羅できるとよいだろう。
エベレスト登山のための技術や知識を学べるコースなんかもあれは、とても魅力的だ。

山岳会なんかに入会すれば、すべて一通り教えてもらえるのかもしれないが、体育会系な上下関係なんかもあるかもしれず、なかなかおいそれとは入っていけないような印象だ。
山岳会に入っている人の話では、けっこう年配の人たちが多いみたいで、あまり若い人はいないみたいである。
だから最近はけっこうみんな一匹狼みたいな感じで登ったり、少人数の仲間同士で登ったりしているようだ。
わたしもそうだけど、やっぱ最近の人たちというのは、煩わしい人間関係を極力避けたがる傾向があるようである。
先輩が後輩を鍛え、それが代々受け継がれていくという日本の文化は、だんだんとすたれていっているのかもしれない。
それだったらお金を払って登山教室に行こうという話になるのだろう。

なんとも現代社会はお金中心の世の中である。
カネ、カネ、カネで、人同士の繋がりというのは、薄れてきているのかもしれない。
今はほんと家族単位だけで助け合って生きていて、アカの他人とは疎遠である。
でも本当は家族同士だけでなく、アカの他人とも助け合っていけることが理想かなと思う。
なぜならば家族いない人は誰からも親身になってはもらえないという話になり、それで今はけっこう無縁社会とか言われてるし、孤独死で死ぬ人も多いし、アカの他人のことは知らない、どうでもいい、関係ない、という態度では、そういった問題は解決しないことだろう。

まあ要するに、誰かカネ貸してくれませんか?って話である笑
冗談ですが。
とにかくわたしは次の仕事を早く見つけなければ。

そのためにアンドロイドのスマホアプリの勉強をし、ブログ投稿アプリを作ってみた。
そして今回これは、はじめてそれを使って投稿してみるブログになる。
無事投稿されるだろうか。
無事投稿されることを願う。
<<「明日は秩父の天覧山に...」