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飯縄大権現から賜ったせっかくの縁結びのご利益を無下にした
投稿日
2022/04/21
ミスった。
せっかく花子さんという人からラインが来たのに、誰だかわからなかったので返事もせず、ラインから花子さんを削除してしまったぞ。
花子さんは、男女の出会いの会で知り合った女性である。
誰だかわからない人に一ミリも労力を使いたくないと思って、それに気になる人だったらなにかしら印象に残ってるはずだし、だからその花子さんはたぶん気になる人ではなかったと思うので、だから私はラインから花子さんを削除してしまった。
今月末で今の仕事も終了になり、来月からは無職になるので、今はもう無駄な出費は一円たりともしたくない。
だから誰だか覚えていない人の相手をする余裕がない。
そう思って花子さんをラインから削除してしまったわけだけど、でもそれを今、ひどく後悔している。
花子さんを登山に誘ってみればよかった。
今回の花子さんのラインは、「GWでみんなでどっか行きましょう。私は用事があって行きませんけど、ご興味ありますか?」などという、わけのわからない連絡であったのだ。
自分はいかない会に誘うとは、どういう了見だ。
と不審に思い、くわばらくわばらと思って返事を出さず、ラインを削除した。
でも一応、当たってみるべきだった。
「最近登山してますか?」とか聞かれたので、「してますよ!」と答え、そして、「今度二人で登山しませんか?」などと、誘ってみればよかった。
誰だか覚えていない、花子さんを。
それはやるべきだった。
ダメ元で当たってみるべきだったと、今はひどく後悔している。
あー花子さん、もう一度ライン来ないだろうか。
既読スルーしてしまったので、もう連絡は来ないだろう、残念ながら。
まさに一期一会。
まさに短気は損気。
花子さんからラインが来たということは、そのラインの内容がどうであれ、それは一つの縁だったのかもしれない。
私は最近頻繁に高尾山に登っているので、高尾山薬王院有喜寺の御本尊である飯縄大権現が、私にありがたい男女のご縁を提供してくれたのかもしれない。
それが花子さんだったのかもしれない。
それを人間の浅はかな考えで、ばっさりと無下にしてしまうとは・・・
アホだ、容赦無くアホだ。
え?
飯縄大権現に、男女の縁結びのご利益があるんですか?
だって?
ある!
自信を持って言える。
飯縄大権現に、男女の縁結びの御利益は——
ある!
というのは、飯縄権現は万能の神様だからである。
基本的には飯縄権現は戦勝の神と言われているため、戦いに勝つという御利益がある。
戦国武将の上杉謙信のカブトに飯縄権現の象がつけられていたのは、有名な話である。
武田信玄とか戦国時代の武将たちは飯縄権現を拝み、戦勝のご利益を賜れるよう、祈ったのである。
その飯縄権現に縁結びの御利益もあるとは、一体それはどういう根拠で、そんな虚言をのたまっているのだろう、こいつは。
そんな風に思われるかもしれないが、それには論を証明するに足る根拠がしっかりとある。
それはつまり以下のような理屈である。
飯縄権現は、不動明王の化身である。
そして不動明王は、大日如来の化身である。
つまり飯縄権現は、大日如来の化身である。
という、三段論法が成立する。
そして大日如来はフランシスコザビエルからキリスト教の神様に置き換えられたくらいの、全知全能の仏である。
大日如来は「根本仏」などとも言われており、仏教を創設したお釈迦様も、阿弥陀如来も、薬師如来も、すべての偉い仏様は、全部大日如来の化身である、などとも言われている。
それほどの偉い仏様である大日如来であるので、その化身である飯縄権現は、なんでもできる万能の神様であるというわけである。
だから当然縁結びの御利益くらい、余裕で提供してくれるだろうと、私は思っている。
しかしせっかく飯縄権現が提供してくれたありがたい御利益である、花子さんからのラインを無下にしてしまうとは、まったく愚か極まりない。
そういう一つ一つのありがたいご縁を雑に扱っているから、私はきっとダメなのだろう。
しかしあれだね。
飯縄権現、どうやら人間のモデルがいるらしい。
もともと飯縄山という山が長野にあって、その山の神様として長野で信仰されていたのが、飯縄権現である。
それを俊源大徳が高尾山に引っ張ってきたのである。
俊源大徳は飯縄権現を、「感得」したのである。
ウィキペディアの飯縄権現のページには、以下のように書かれている。
===
この他、『飯縄講式』では妙善月光と金毘羅夜叉との間にできた18の王子のうち、出家せず俗に留まった十王子の第三が飯縄智羅天狗で、これが飯縄山の飯縄明神であると語る。これは先の『戸隠山顕光寺流記并序』と内容的に関連する。
===
このように、「出家せずに俗に留まった王子の一人」が、飯縄権現であるということだ。
つまり飯縄権現は、元は人間であった。
それが神格化され、高尾山薬王院有喜寺では不動明王の化身として祀られている。
まあそのあたり、何がどうなってこうなっているのかよくわからない話だし、歴史のことなのでその真実は永久に、「答えは風の中」という話ではあるが、でも少なくとも飯縄権現が提供してくれるご縁をしっかりと大事にして、なんとか諦めず、今後もしっかり頑張っていきたいところである。