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高尾山、とんとんむかしの「峠のきつね」
投稿日
2022/05/10
とんとんむかし、
茶屋に毎日訪れる旅人が、おったそうな。
そして毎日饅頭を二つ注文して、それを貪り食って、お茶は飲まずに、料金を払い、帰っていったそうな。
旅人の身なりであるのに毎日やってくるその者を不審に思い、茶屋の主人は、その者のあとをつけていったそうな。
するとその者はごそごそと草むらに入っていって、頭から葉っぱを取り除いたと思ったら、どろんと煙が一つたち、主人が見たのは、走り去っていく狐の後ろ姿だったそうな。
やられた!
主人は大慌てで茶屋に引き返し、おそらく葉っぱに変わっているだろう、狐からもらった料金を、確かめにいったそうな。
しかし狐の支払ったお金は、本物のお金であった。
狐はどうやら商人に化け、山の木の実やキノコを売り歩いた。
そしてそのようにして作ったお金で毎日茶屋にきて、饅頭を食べて、料金を支払っていたようだ。
とんとんむかしは、へえしまい。
そのような、「峠のきつね」というタイトルの小話を、私は「とんとんむかし ——語ろう!八王子のむかし話—— 高尾山とんとんむかし語り部の会」という本で読んで、深く感銘を受けてしまった。
そのような味のある話が、他にもいくつか見受けられた。
そして本の最後には、以下のような文が書かれていた。
===
※高尾山のお話に関しては、ふこく出版『高尾山昔話 とんとんむかし』『天狗さまのはなし——高尾山説話集』をご参照ください。
===
今回購入した「とんとんむかし」には、高尾山関係の話は、四つしかなかった。
そのほかの53個の話は、八王子の昔話のようだった。
やれやれだ。
今回私は、「とんとんむかし ——語ろう!八王子のむかし話—— 高尾山とんとんむかし語り部の会」という本タイトルを見て、おそらくほとんどの話が高尾山に関する話だろうと、早合点してしまっていた。
なんといってもそれを作った人たちが、「高尾山とんとんむかし語り部の会」という名前の人たちだったので、その話の大部分は当然、高尾山に関する話に違いないと、早合点してしまっていたのだ。
料金はいくらだっただろう。
アマゾンであらためて確認してみると、1320円だったようである。
決して、安くない本である。
しかしあてが外れてしまい、高尾山の昔話は、なんとたった四つだけ。
あの53個は、全部ほかの八王子の昔話という、残念な結果であった。
しかしそれでも内容はなかなか味があり、面白かったので、買ったことに後悔はしていない。
「峠のきつね」というお気に入りの話も、高尾山とは関係のない話である。
昔話というのも、なかなか面白いものである。
「日本昔話」というアニメを昔見たものだが、またあらためて見てみたくもなってしまった。
でも今回は高尾山話がお目当てだったので、その点に関してのみいうと、これは完全にあてが外れた。
とはいっても四つ、高尾山話があったので、まあそれはそれで収穫がゼロであったというわけでもない。
そして本の最後で、『高尾山昔話 とんとんむかし』『天狗さまのはなし——高尾山説話集』という二つの本を勧められてしまったので、そしてまさにその本が、まさに高尾山に関する本のようなので、仕方がない、私はその二つを買うことにした。
しかしその二つはなかなか高額な本で、アマゾンでその二つを注文したのだが、なんと料金は5000円を超えてしまった。
5004円とか、そのくらいの料金であった。
まあ仕方がない。
とりあえずその二つも注文したので、近日手元に届くだろう。
そして高尾山関係の昔話、たくさん読むことができるだろうと、期待する。
というわけで、現在、無職、無収入の私は、少し無駄遣いをしすぎてしまったようである。
こうなってしまったからには、せめて今日一日は、一円の金も使わず、過ごすつもりだ。
食べるものはあるし、水道水もあるし、読む本もあるし、ユーチューブもあるし、外付けHDDに映画とかドラマをコピーもしているし、だから別に、金を使う必要はない。
それは確かに、とんとん話に出てきた、数少ない高尾山話の一つ、「天狗つるし」という小話で、いわしが大好きな百姓が出てきて、そのためイワシ嫌いの天狗にえらいめに合わされたのだけど、その話を読んだ私は、なぜか無性にイワシが食べたくて、仕方がないのである。
だから本当は今日はイワシを買ってきて、それを魚焼き器で焼いて、貪り食ってみたい、そのように思うが、それでもやはり、今日は一円も使ってはいけない。
イワシを貪り食うのは、またの機会にする。
その、「天狗つるし」という話は、ネットですでに読んでいた。
とんとんはなしはもしかすると、かなりたくさん、ネットで無料で読めるものなのかもしれない。
しかし私は紙で読むほうが好きなので、とんとん話を購入したことに、後悔はない。
昨日もまた、それほど贅沢をしたつもりはない。
昨日購入したのは、主に野菜関係。
小松菜、にんじん、豆腐、あぶらげ、ピーマン、長ネギ、しめじ。
と、いったところだろうか。
二日前に、鶏の手羽元を煮て、食べた。
そしてその残り汁に、長ネギの青い部分、にんにくの残り、しめじ、あぶらげを入れ、さらに、タバスコをたっぷり入れ、そして、豆腐も入れた。
昨日はその濃厚汁を、ごはんにたっぷりかけて、食べた。
昨日のごはんは、全食それだった。
そして今日の一発目のごはんは、長ネギ入りの、納豆ごはんである。
納豆は一パックだけ、残っていた。
それにたっぷり長ネギを入れ、そして、そなえつけられていたカラシと醤油を入れ、さらに味を濃くするため、醤油を追加でドバドバ入れた。
そしてそれをたっぷりのごはんに載せて食べたのだが、それは実に美味かった。
まだ冷蔵庫の中には、卵とか、とろけるチーズとかもあるし、まあ今日一日、追加で何かを買ってくる必要は、まったくない。
だから今日は、一円も使わず過ごすと、心に固く誓っている。
そもそも今日はまだ、一度も外出していない。
後から外出するつもりだが、そのときには財布は持っていかない。
カギだけを持って、外出する。
そして、古本屋に行ったり、ツタヤに行ったり、ゲオに行ったりして、DVDパッケージを眺めたり、本の背表紙を眺めたりして、外出生活を楽しむ。
そのようにして、今日一日をエンジョイする。
仕事のほうはこの三日間ほど、火のような勢いで求職活動に励んだものの、手応えはまったくなし。
でもそれはそれでいいのだ。
求職活動をすることに意義がある。
今はまだ、ただちに金が尽きるという状況ではないので、とりあえず求職活動に励んでいるという、その努力だけできていれば、それだけで気は済んでしまう。
現在、無職、無収入なのだが、この機会に、家にある本とか漫画とかを、なるべくたくさん読んでやろうとも、目論んでいる。
買うだけ買って読んでいない本や漫画が、大量に家にあるのである。
その中の大部分は、大昔に買った本なので、今となってはまったく読みたいとは思わない本も多いのだけど、だからこそ、そういう読みたくもない本こそ、先に、最優先で、読んでいこうと思っている。
なぜなら読みたくもない本を、今読んでおかないと、もう一生涯、その本を読むことはないだろうということが、わかりきっているからである。
村上春樹の本とか、読みたい本は、絶対いつかは読むのはわかりきっているが、そのほかの、まったく読みたいと思わず、今すぐ捨ててしまいたいような本は、今読んでおかないと、もう一生読む機会はないだろうことは、明らかである。
でもそういう本だって、読んでみると、そこそこ面白かったりするし、しかしやっぱり面白くなくて、退屈しながら、いやいや読むハメにもなったりする。
昨日のあの本はひどかった。
早く終わってくれと念じながら、読み続けた。
その本には続編が出ているようだが、その続編は金輪奈落、絶対に読むつもりはない。
とまあそのような状況だ。
登山から離れ、はや、二日。
明日あたり、また登山に行っても良いのではないか。
なんといっても、健康目的である。
最近もっぱら、高尾山ばかりである。
私は高尾山に期待する御利益は、ただ一つ。
それすなわち、「健康」。
「健康」が最大の御利益であると、私は思っている。
そしてもともと高尾山の薬王院は、薬師如来という、健康の御利益がある仏様を、祀っていた。
今は飯縄権現を祀っているが、いまでも薬王院は、その名が示すとおり、薬師如来とも深く関わっているお寺であるという認識だし、薬師如来も、まだ祀られてもいるはずだ。
ただ飯縄権現という神様が、不動明王の化身、大日如来の化身ということになっているので、その大日如来は、根本仏であり、薬師如来さえも、その大日如来の化身の一人である、お釈迦さまさえも、その大日如来の化身の一人である、という位置付けなようなので、結局、大日如来一人だけいれば、それで万事、ことは済んでしまうわけである。
つまりその化身である飯縄権現一人だけで、用は全部、済んでしまうわけだ。
つまり飯縄権現だけで、健康も、縁結びも、家内安全とか、交通安全とか、開運とか、心願成就とか、全部お願いごとは、叶ってしまうものらしい。
まあとにかく私が期待している御利益は、「健康」だけである。
健康であれば、それでいい。
そして高尾山に登るなり、ほかの山に登るなりして、たっぷり汗をかいて、たくさんの生命が蠢いている森の中を歩いたり、良い風景を見たり、美味しい空気を吸ったりすることで、確実に健康はよくなる。
つまり仏うんぬんという話以前に、登山という行為そのものに、「健康」のご利益があると、そのように考える。
つまりそれは「山」のご利益であると言えるのか、どうだろうか。
まあとにかく、また近々、登山をしたいものである。