水と草
投稿日
2023/06/20
三日前くらいの話である。
つまり、2023年6月17日くらいの話。
長淵山ハイキングコースを、歩いていた。
すると、のっそりとカモシカが出てきた。
カモシカが出てくるのは、珍しくない。
青梅丘陵ハイキングコースにも、カモシカはよく出てくる。
シカとかクマとかは出てこないが、カモシカはよく出てくる。
だからカモシカが出てきても、もはや、なんとも思わない。
特に珍しいとも、思わない。
カモシカは、狭い道のど真ん中を、塞ぐこともある。
そして、なかなか逃げないのである。
だから困る。
逃げてもらわないと、道を通れないのである。
カモシカは、害のない動物である。
ただし、至近距離まで近づけば、「窮鼠猫を嚙む」という事にもなりかねない。
だから至近距離に、近づいてはいけない。
人と会った時、カモシカはきっと、「逃げたい」と思う。
しかしびっくりして、体が硬直してしまうのかもしれない。
それでなかなか逃げてくれず、その場にいつまでも、とどまるのである。
いや、体が硬直しているわけではないのかもしれない。
というのは、道の、ど真ん中を塞ぎながら、呑気に草を食ったりするのである。
でもそれも、ポーズかもしれない。
呑気を装っているのかもしれない。
でも実際に、あまり人間を恐れていないフシがある。
逃げるは逃げるが、「殺される!」と思って逃げるような迫力は、あまりない。
少し逃げて、振り返って、人間の様子を、じっと伺っているのである。
なんとも好奇心旺盛な動物である。
そのカモシカが三日前に、道にのそりと出てきたというわけだ。
その近くには渓流があるので、明らかにそのカモシカは、渓流の水を飲んできたところであるのは、間違いない。
渓流の水を飲むためには、登山道を横切らなければいけないのである。
しかしカモシカ、夜行性でもなんでもないらしく、昼間にガンガン出てくるのである。
今は、夜の十一時である。
この時間の今でも、あのカモシカは、あの長淵山ハイキングコースのどこかで、なんかしてるのだろう。
寝てるだろうか?
さすがに昼に行動する動物は、きっと早寝に違いない。
夜の十一時なら、どこかで寝てるだろう。
どこで寝てるのだろうか?
興味が尽きない。
そのカモシカは、今でもあの山エリアのどこかにいるのである。
24時間365日、あのカモシカが、どんな風に生活しているのか、見たい。
そしてあのカモシカ、結構な運動神経で、力強い動きで、走る。
人間よりも、はるかに力強い動きである。
しかしあのカモシカ、おそらく草しか食っていない。
草を食い、水を飲む。
それだけで、あのカモシカは生きている。
草を食い、水を飲むだけで、あんなに力強い動きで、生きている。
カモシカは哺乳類である。
人間も哺乳類である。
体の作りも、かなり似てるのではないか?
しかし人間はなぜ、色々と食わなければいけないのか?
肉、野菜、果物、魚、牛乳、卵とか。
なんで色々、食わなければいけないのか。
あるいは人間も、もしかしたら水と草だけで、生きていけるのか?
野菜と水を食うだけで、生きていけるのか?
自分の体で、それを試してみたくもなる。
きっとそれは、よいダイエットにもなるだろう。
でもそんなことしても一円の得にもならないし、無職の今は、そんなことして遊んでる余裕はない。
しかし先日、不穏な人たちを目撃した。
あのカモシカが棲んでいる、長淵山ハイキングコースに、猟友会の人たちがウロウロしていたのである。
ニホンカモシカは、食べると美味いらしい。
その味は、鴨のように美味らしい。
そしてつい私は、「頼むから、余計なことをしてくれるな」と、猟友会の人たちに向かって、呟いてしまった。
そしてその呟きは、ばっちり猟友会の人に聞かれてしまった。
誰もいないと思って、けっこう大声で、そう呟いた。
すると、まさに猟友会の人が、まるで陰のように気配を消して、すぐそばにいたのである。
それで私は、ギョッとしたものである。
私が心配しているのは、猟友会の人たちが、あのカモシカを殺してしまうことである。
あのあたりで二回カモシカを見かけたが、その二回のカモシカは、同じカモシカかもしれない。
あのエリアにたった一匹だけ、棲んでいるカモシカかもしれない。
ということは、あのカモシカを殺されてしまうと、あのカモシカは二度と出てこないということだ。
それはハイキングコースの散歩の、大きな楽しみの一つを奪われるということだ。
なぜならあのコースを歩くたびに、あのカモシカのことを、うっすらと、考えるからである。
「ここに、あいつが棲んでいる」
そう思うだけで、けっこう面白いのである。
その楽しみを奪われてはたまらない。
だから、「頼むから、余計なことをしてくれるな」という発言になってしまった。
逆に、不穏な人もいる。
あのコースに、犬を捨てに来たらしき人も、先日目撃した。
ハイキングコースを歩いていると、犬がワンワン吠えていて、私は顔をしかめたものである。
私は犬が、あまり好きではない。
というのは以前、犬の騒音被害のため、マンションの引越しをする羽目になったことがあるからだ。
その騒音住民は、犬が大好きらしい。
しかし私はその騒音住民が、世界で一番、大嫌いである。
だから自動的に、犬も嫌いだというわけだ。
つまり私は、すべての犬好きの人間が、嫌いなわけである。
犬に罪はない。
それはよくわかっている。
わかってはいるが、これは感情の問題だ。
感情は、理屈ではないのである。
そしてしばらく歩くと、吠えてる犬を、目撃した。
いかにもペットという感じの、可愛い感じの犬であった。
そして二人の人間が、その吠える犬を、ハイキングコースで遊ばせていた。
私はムッとした。
「こんなところで犬を遊ばせるのは、やめてもらいたいなあ」と、内心思った。
そしてその人間から挨拶をされたが、私はその挨拶を無視した。
無視をすることで、不愉快な気持ちを、先方に伝えたつもりである。
それからしばらく歩くと、なんと、犬が追ってきた。
犬だけが、追ってきた。
飼い主はいない。
だから私は思ったのだ。
「あ、やつらめ、犬をハイキングコースに捨てやがった」
捨てられた犬は、もちろんロープに繋がれていない。
そしてしつように、私にまとわりついてくる。
しかし犬は、犬好きな人間にしか、近づかないと聞く。
にも関わらず、捨てられて心細い犬は、犬嫌いの私に、しつように、まとわりつくのである。
それで私は徹底的に拒否の姿勢を、犬に示した。
どやしつけるような、脅かすような、態度も示した。
それでようやく、犬はついてこなくなった。
あの犬がもしかして、野犬化するのではないか?
そしてあのカモシカと、熾烈な縄張り争いをするのではないか?
そしてもしかしたら、人を噛むような犬になってしまうのではないか?
野犬化した犬は、かなり怖そうだ。
それはもう、オオカミみたいなものである。
そういう犬は、猟友会の人たちに、なんとかしてもらいたいと思う。
しかし今日また同じハイキングコースを歩いてみたが、野犬化した犬の姿は、見かけなかった。
だから犬を捨てたと思ったのは、私の勘違いだった可能性が濃厚である。