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青梅丘陵ハイキングコース(2024年6月2日)
投稿日
2024/06/02
青梅丘陵ハイキングコース、2024年6月2日、日曜日、雨、傘をさして歩いた、久しぶりのハイキングである。道中、尾崎豊の「僕が僕であるために」を、口ずさみながら歩いた。
心すれ違う哀しい生き様に
ため息漏らしていた
だけどこの目に映る
この街で僕はずっと
生きていかなければ
人を傷つけることに目を伏せるけど
優しさを口にすれば
人は皆傷ついてゆく
僕が僕であるために
勝ち続けなきゃならない
正しいものがなんなのか
それがこの胸に解るまで
僕は街にのまれて
少し心許しながら
この冷たい街の風に
歌い続けてる
と、歌詞を書き出してみる。
家に帰ってきて、キャベツ、新玉ねぎ、ローストンカツを食べた。
現在冷蔵庫は使っていない。それで家にマヨネーズとケチャップがあるので、それを早く消費してしまいたく、だから今日はスーパーでトンカツを買ってきて、それにたっぷりマヨネーズとケチャップをかけて、食って、そしてマヨネーズは全部消費し尽くした。まだたっぷり残っているケチャップは、また何かで消費しよう。
尾崎豊のウィキを見る。
生誕、1965年11月29日。死没、1992年4月25日。まだ26歳の若さで永眠しており、我々の尾崎豊のイメージは、永遠に、二十代の繊細な若者である。今もまだ生きていたとしたら、彼は58歳になっていたところだった。
この「僕が僕であるために」は、尾崎豊自身による、作詞作曲である。「I LOVE YOU」「15の夜」「卒業」「シェリー」「OH MY LITTLE GIRL」など、彼の生み出した名曲たちは、すべて彼自身による作詞作曲である。
彼の死も、なかなかエキセントリックである。
1992年4月25日の早朝、自宅のマンションから約500メートル離れた民家の軒先で、全裸で、傷だらけで倒れていた。病院に運びこまれ、その時はまだ生きていた。尾崎はその後、妻と兄と共に自宅マンションに戻ったのである。しかしその後、10時頃になって、また容体が急変、呼吸が止まっており、家族が119通報。病院で手当を受けるも、午後0時6分に死亡した。死因は肺水腫。
その肺水腫の原因は、どうやら、覚醒剤中毒であったらしい。極度の飲酒もあったようである。
彼には長男がいて、尾崎裕哉、現在三十四歳、彼と同じくシンガーソングライターとして活動中らしい。