毎日高尾山(3)
投稿日
2024/11/02
高尾山の一号路を登り、ケーブルカー乗り場の付近の店で食事をする。タコ杉。サル園。のんびり歩く。浄心門をくぐり、神変堂で手を合わせる。
高尾山薬王院は、お寺である。お寺の中に神社もある。
薬王院で祀られているのは、飯縄大権現。毎日その万能の神様を拝んでいる。
薬王院の境内に入る。
大本堂の横には縁結びの御利益のある愛染明王を祀るお社もある。そこでもしっかり手を合わせる。
もっと人柄をよくしたい。
そのために、世のため人のためになるようなことが、何かできれば良い。そして私は善人オーラに包まれる。それが女性を引きつける。そして結ばれる。
そのような展開を熱烈に願う。
薬王院を後にして、山頂に向かう。
山頂に到着して、大展望台で、風景を眺める。
するとそこで声をかけられた。
「今日は富士山、見えないねえ」
声の主は八十歳くらいの老人。私はイラッとして激しく顔をしかめる。
老人とはいえ、初対面の人間にいきなりタメ口で話されるのは非常に不愉快。老人をじろりと睨む。
老人はニコニコしている。しかし私がいつまでたっても返事をしないので、その表情が徐々に曇っていく。
(クソ図々しいジジイだ)
内心で悪態をつく。いつもなら余裕で無視して、その場から立ち去るところである。
しかしちょうど人柄を良くすることについて、真剣に考えているところだった。そのタイミングで、そのいかにも、すべての人から見捨てられているような、みすぼらしい老人に話しかけられた。
これも飯縄様のお導きではないだろうか。この、誰からも相手にされなくなっている孤独な老人は話し相手を求め、若い私に話しかけてきた。それを無視するのは、気の毒といえば気の毒。
そう思い直した。
「ああ、今の時期は見えない日のほうが多いでしょうね。冬場はよく見えるんですが」
感じ良く老人に返事をしてあげる。
にもかかわらず、一度くもりかけた老人の表情は、なかなか元には戻らない。何か不審なものでも見るような目で、私の顔を眺めている。
「そうだね……。でもこれはこれで、悪くないね……」
老人は、そろりとそう言った。
なにか引っかかる言い方だ。何か文句でもあるのだろうか。
だから老人は嫌いである。気難しい。
せっかく若い私が話し相手になってあげているのだから、素直にもっと喜べばいいのに。
こんな、すっかり老化して、誰からも相手にされなくなった図々しい老人と話をしてあげる若者なんて、めったにいるものではない。私がもし二十代の若者に話しかけてみても、ほとんど相手にされないのと同じである。
老人は確かに私よりも三十歳くらいは年上なのだろう。
しかし四十八歳といえば、もう立派な大人の年齢だ。その大人に対して、いかにも若者扱いするように、上から目線の物言いで無遠慮に声をかけるなんて、失礼だと思う。
人間の価値は年齢ではない。無駄に歳をとれば偉いというわけではない。
若くても優秀な人や、尊敬できる人はたくさんいる。だから年齢なんて関係ない。
歳が上だからといって初対面なのに偉そうにいきなりタメ口で話しかけてくるような人間が、私は本当に大嫌いである。