毎日高尾山(4)
投稿日
2024/11/03
それでも私と老人は話をしながら高尾山を歩いた。
その老人は可哀想に、完全にボケてしまっているようだ。私のことを自分の友だちかなにかだと勘違いしているらしい。
前置きもなくいきなり、
「きよたくん、入院したんだって。一度見舞いにいかないとね」
などと、知らない人間の名前を出す。
「きよたくんって誰ですか?」
そう質問しても、返事はかえってこない。
ただ黙り込む。
老人と私は薬王院を経由して、ケーブルカー乗り場まで下山した。そして天狗焼きの行列に並び、それを買って食べた。
そして一号路で下山する。
「軽く飲んで帰ろうか?」
老人はそう提案した。
私は思わず顔をしかめる。
もういい加減、老人のお守りにも飽きてきた。そろそろ解放してもらいたい。
しかし今回だけは特別だ。
最後まで老人をガッカリさせず、とことん付き合ってあげよう。そんな慈善をほどこすことで、なにか飯縄様からの御利益を賜れるかもしれない。
「いいですよ。では、高橋家にでも入りますか?」
「いや、琵琶家がいいんだけどね……」
「ああ十割そばの店ですか。いいですよ。そこで軽く食べましょう」
琵琶家に入る。
すると八十歳くらいの店主が、「おう!」と親しげに声をかけてきた。どうやら老人と親しいらしい。
店主は私に対してもニコニコした顔つきを見せる。ずいぶん馴れ馴れしく無防備な笑顔である。
私は怪訝に思いながらも、店主に丁寧に頭を下げる。すると店主は眉をひそめた。
「この店にはよく来るんですか?」
老人にそう尋ねる。
「うん、そうね……」
老人の答えはそっけない。
「ほい、ビールお待ち」
店主がそう声をかけてくる。
まだ注文していないのに、スーパードライの瓶ビール一本とグラスが二つ出てくる。
「なおきさん、またあれだね」
店主はそう言って、苦笑いを浮かべている。
は? なおき?
〝なおき〟は私の名前である。
老人も私と同じ名前?
目の前の老人を見る。
店主と同じく、困ったような、苦笑いを浮かべている。
瓶から二つのグラスにビールを注ぎ、一つを私の前におく。
「もり二枚もらうか、とりあえず」
老人は店主にそう声をかける。
あれ? こいつ……
ふいに老人の正体に気がついた。
しんじくん? こいつ、五歳年下の、木下しんじくんじゃないか!
ああそうか。
すべてを思い出す。深いため息をつく。
結局私は独り身だ。
(完)