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雑巾の搾り汁 二〇二四年十月三十一日
投稿日
2024/11/04
二〇二四年十月三十一日。木曜日。二十二時十四分。書くことがない小説家志望。やることがない。別に面白いとは思わないが、三島由紀夫の『潮騒』を読んでいる。何を読んでも面白くない。別に小説を読むことが好きでもない。ぼんやりと考えている。なにかやる気が出てくるのを待つ。すでに眠くもある。もう寝てしまおうか。ずっと干していない布団は臭い。しかしこんなに書くことがないのでは、もうどうしようもない。しかしこの今の二十二時五十五分という時間帯は、特に何も書くことのできない時間帯である。一日を前半と後半に分けた場合、前半はけっこう創作意欲がある。しかし後半はダメである。特に今ぐらいの、もうすぐ寝るという時間帯は、もう壊滅的にダメである。創作意欲は完全に失われている。そもそも書くことなんか無い。書きたいこともないし、世の中に対して何か言いたいこともない。なのに無いアイデアを雑巾のように絞り出し、なにかしら書こうと頭を悩ませている。小説の賞に応募するのもだるい。なんと言ってもすでに二十回以上は落選している。だから応募してもどうせ落選するだろうと思ってしまう。眠いのだ。体が鉛のように重いのだ。すべてのやる気は失われている。毎日のように青梅丘陵をハイキングすることで、かろうじて心身の健康を保っている。まるで生きるシカバネ。生きながら幽霊と化してしまっている。毎日辛そうに暗い顔をして生きている。むっつりと深刻そうな顔つきをしている。誰よりも遅いスピードで歩いている。季節感なく、いつまでも半ズボンを穿いている。もちろん節約生活である。素麺ばかりを食べている。せっかく大都会東京にいるというのに金が無ければ何も遊べず、ひとつも楽しくない。地の果てにいるのと変わらない。人生を一年に例えるならば、季節はすでに冬である。しかし敬愛するMマートの社長は五十八歳で起業して、八十五歳で現役バリバリのワンマン社長であった。そこの社員であった時、私はその社長の足元にも及ばない人間であると毎日痛感させられたものである。今でもご活躍されているだろうか。村橋孝嶺社長である。グーグル検索で調べてみると「六十四歳で起業、八十一歳で上場 Mマート社長」とすぐに出てきた。一九三六年生まれ。ということは今は八十八歳くらいになられている。ということは私がMマートでお世話になっていたのは、たった三年前ということか。あれからもう五年以上は過ぎているような感覚である。当時、正社員で働いていたものだ。あの頃の仕事仲間たち、元気にしているだろうか。前に訓練スクールに通っていたときも求職活動を支援する先生がいて、その先生も八十五歳であった。毎日日経新聞を読んでいて、まだ現役バリバリという感じの、怖くて元気な先生であった。あの先生の名前は何ていったっけ? 学校名は確かテラハウスだったっけ? 学校は東中野だった。四ヶ月間のジャバプログラミングの学校であった。クラスの生徒数は十八人くらい。あれはもう十五年くらい前の話である。あの人たちも元気にしているだろうか。あの怖くて元気な八十五歳の先生、ヨコザワ先生って言ったっけ? ヨコザワ先生や村橋孝嶺社長のように、八十五歳でバリバリ活躍している人もいる。