私は悪くない
投稿日
2025/01/05
私は悪くない。潔白だ。セブンイレブンで、列に並ぼうとすると、そこには誰も並んでいなかった。その状況で、レジの近くを通った時、若い店員から、「どうぞ」と声をかけられ、そのまま、レジに商品を置いた。すると、その直後に、「真ん中の列にお並びください」と言われた。見てみると、真ん中の列には、男性が一人、並んでいた。私は目をむいて、店員を睨んだ。激しい怒りを覚えた。「さっきまで誰も並んでなかっただろ」と、怒鳴ってやりたくなった。並んでる男性は、「いいですよいいですよ」と、笑顔で言った。それで、私が先にレジをした。私は憮然としていた。店員も憮然としていた。店員の対応は、やや乱暴だった。そして私は、悪者みたいな感じになって、セブンイレブンを出た。列に並ぶくらい、どうって事ない。しかし、誰も並んでいなかったし、店員のほうが、「どうぞ」と声を掛けてきたのである。「どうぞ」ではなく、「お待ちでしたら、どうぞ」と、言ったのかもしれない。そして、その言葉は私に向けられたものでは無く、実は、列に並んだばかりの、別の男性に向けられたものだったのかもしれない。しかし、実に不愉快になった。騙されたような気分だ。だったら最初から、誰もいない列に、念のため、並んでおけば良かった。私は、列に横入りするようなマナーの悪い人間ではない。むしろ私は、その寛容な男性のように、「いいですよいいですよ」と、言う側の人間である。なのに、そんな風に、マナーの悪い、悪人みたいな扱いを受けてしまい、実に不愉快だ。私は元旦に「ふるさとの会」の炊き出しボランティアに参加するほどの、善人なのである。とにかく、今度から、あのコンビニでは、一応、必ず、列に並ぶことにしよう。下手にレジの近くを通ると、誰も並んでいなかった場合、また、「どうぞ」とか声をかけられ、そして、その直後に、「真ん中の列にお並びください」とか、悪質なワナのような事を言われてしまうかもしれない。そして、私は激怒して、「さっきまで誰も並んでいなかったじゃないか」とか、「なんだお前は」とか、若い店員に、怒鳴ってしまうかもしれない。そんな事してしまったら、最悪だ。それはまさに、すぐ切れる五十代。十代よりも五十代の男性の方が危険――犯罪をよく犯すという。人生に打ち込めされ、老化が進み、色々と不機嫌になってしまいがちな年代なのかもしれない。そして不安も大きくなる。やはり人間、老いれば老いるほど、弱くなる。みるみる弱くなる。結局、若いうちは強いのだ。しかし老いると、心身ともに弱くなる。だから不安などにも耐えられない。若ければ、なんだかんだと耐えていく。若者には「若さ」という、最強の武器がある。そして、若者の不幸は同情されるが、老人の不幸は無視される。しかし、若者だって、心ある大人の導きがないと、惨めな日々を送ることになる。若者は所詮、人生経験が浅い。だから、右も左も分からない。それを導く、心ある大人がいないと、若者の生活も惨めになる。私自身の、これまで歩んできた惨めな生活を思うと、そう思う。考えてみると、東京に出てきて一人暮らしを始めてから、ずっと惨めな生活を送ってきた。そしてそれは今も続いており、これから先も続くだろう。そしてこの先は、もっと年を重ね、もっと弱くなる。どうしようもなく弱くなる。その中で、どう生きるべきか。