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今日ほど晴れ晴れとした気分で登山できたのは久しぶりです
投稿日
2018/05/13
今日は8時30分に起きた。
早く起きたら登山に行き、遅く起きたら登山に行かない。
8時30分は遅いほうである。
こんなに遅く起きてしまった場合は登山に行くのは難しい。
登山に行く場合は、3時30分くらいに起きるのがベストである。
その時間に起きることができれば、多少のんびり過ごしても始発の電車に乗れるのである。
始発の電車はだいたい4時50分くらいである。
始発の電車に乗ることができれば、かなり遠くの山にでも行くことができる。
8時30分に起きてしまうと、もう近場の山しか登山はできない。
今日はもう登山はムリかな、のんびりしようかな、などと思ったりもしたが、それでも折角の土曜日なので、近場でもいいから登山に行っておきたい。
毎週登山に行ってるので、なるべくこのペースを崩したくない。
そんな風にも思い、どこの山に行けるかなと考える。
そして奥多摩の本仁田山がいいのではないかと思った。
本仁田山の破線ルートを歩いてみよう。
というわけで、登山の支度をして、部屋の外に出た。
そのときに、すごい嬉しい光景に出くわした。
いつも玄関の前にたくさんの私物を置いている部屋の前から、私物がすべて消えてなくなっている。
これにはびっくりした。
二つ隣の部屋の玄関の前に宅配スーパーの空箱、自転車、座椅子、解体した本棚のようなものが、ずっと置かれていた。
そして私はそれに対して、ずっと管理会社に苦情の連絡を入れていた。
でも管理会社が全然動いてくれず、弁護士に相談したり、消防署に連絡したり、民事調停を検討して簡易裁判所に行ったり、民事調停をするときのために法務局で管理会社の登記証明書みたいなものをもらってきたりしていた。
民事調停の場で管理会社の職務怠慢について、話し合いをしようかと思ったのである。
そして二日前には、マンションのオーナーにも簡易書留で、苦情の連絡を入れた。
おそらくそれが良かったのだと思う。
おそらくオーナーに郵便物が届いたのは昨日くらいだと思う。
そして今日の朝、早速、玄関の私物がすべてなくなっていた。
それにはほんとびっくりした。
いつの間に撤去したのか?
二つ隣の部屋の玄関の前に置かれていた私物がすべてなくなっている。
これには本当に驚いた。
絶対に無くならないと思っていた。
弁護士さんに相談しても、裁判をした場合、最低でも30~50万の裁判費用がかかるし、そして問題が解決するまでには年単位の時間がかかるだろうと言われていた。
こういう問題は本当に難しい問題であるようだ。
ネットで調べてみても、私と同じ悩みを抱えている人たちはたくさんいるようだった。
そしてこの問題が解決したという話はまったく見つからなかった。
結局みんな、解決できず、我慢するしかないという状態になっているようだった。
管理会社に何を言っても、全然対応してくれない。
対応すると口ではいいながら、実際は何も動いてくれない。
そんな不誠実な管理会社は星の数ほどあるようだった。
マンションの騒音問題もそうだけど、玄関の前に私物をたくさん置いたりとか、いわゆる一つの迷惑行為。この迷惑行為というものは、本当に解決が難しい問題で、これはもう、やったもんがちである。
基本、解決できない問題である。
実際に私は以前、10年住んでいたアパートに騒音の住民が引っ越してきて、多大なる迷惑をこうむった。
大家に苦情を入れても、不動産屋に苦情を入れても、全然解決しない。
騒音の住民は下の部屋の住民だったが、床をどんどん叩いても、全然効き目がないし、深夜なので静かにしてください、などと呼びかけても、全然効き目がなかった。
もうほんと、宇宙人みたいな人たちだった。
若い女性で、毎晩深夜、朝まで賑やかにおしゃべりしていた。
木造アパートなのでおしゃべりは丸聞こえで、とてもうるさくて、毎日全然眠れなかった。
そして毎日夜になるのが恐怖でもあった。
その騒音問題は本当にひどかった。
これはもう、逃げるように引っ越すしか、他に方法は無かった。
大家のおばさんも、「あんたが気にしすぎなんじゃなーい?」とか言ってて、すごい感じ悪かった。
もうほんと、激怒ものである。
一度深夜に、下の部屋でにぎやかにおしゃべりをしていて眠れないときに、大家に電話をかけてやったことがある。
そして電話に出た大家に、下の階がうるさくて困ってますと、言う。
それに対して大家は激怒である。
深夜に電話してくるな、非常識じゃないか!という話である。
うん、そうだ。それは本当は。それは確かに非常識だ。それは確かにやってはないけないことだ。
しかし毎晩騒がれているというのは、そういうことなのだ。
それに対してあなたは何もしてくれないではないか。
私はそれを言いたかった。
その木造アパートは管理会社というものはなく、大家が管理をしていた。
しかし大家は全然動いてくれない。
不動産屋のエイブルに連絡しても、大家さんに連絡してください、うちは仲介のみで管理はしていません、と言われるだけであった。
しかし大家はまったく対応してくれず、何をしても全然解決できず、結局引っ越すしかなかった。
その下の住民のところに行って、ドアをノックして、「深夜にさわぐな。非常識じゃないか!」と、怒鳴りつけるような勇気があれば、あるいは解決したかもしれない。
しかし私にはその勇気はなかった。
その騒音問題のときに比べると、今は天国みたいなものである。
玄関の前に私物をたくさん出されても、宅配スーパーの空箱が風が吹くときはこちらの玄関に飛んでくるとしても、騒音問題に比べれば、本当に天国みたいなものである。
私は昨日の夜はそのように思った。
夜はとても静かだった。
そしてその静けさが本当にありがたいと思った。
私は静けさが大好きである。
部屋が静かであれば、他に文句はない。
そんな風にも思う。
一番怖いのは、騒音問題。
もうこれはトラウマになってしまっている。
もうほんと、騒音問題が怖くても、もう木造アパートには引っ越せない。
どんなに高くても、騒音問題が起こりにくい鉄筋コンクリートのマンションとかに住みたいと思う。
とにかく騒音問題が一番恐ろしい。
そんな風にも思っていた。
しかしマンションの前の私物問題。
もう、解決してくれと、何度も管理会社に苦情の連絡を入れている。
もうこうなってしまうと、解決してくれないと、落ち着かない。
なんかどうしても解決しなければいけないような気にもなってくる。
でもこういった問題は本当に解決が難しそうだ。
管理会社が動かないのであれば、まずは簡易書留で、いつまでに解決してくれますか?と聞くことになる。
返事をもらえないのであれば、民事調停しますと伝えることになる。
そしていつまで待っても返事が貰えなければ民事調停をする。
民事調停はそんなにお金がかからない。
だからとりあえず民事調停をする。
しかしおそらく民事調停でも問題は解決しないだろう。
そうなって初めて弁護士さんの出番である。
今度は裁判をすることになる。
あるいは、その問題の住民に対して、今度は民事調停をするということになる。
とにかく民事調停はあまり金がかからない。
これは弁護士さんに頼む必要がないからだ。
弁護士さんにお願いしはじめると、莫大な金がかかってしまう。
だからなんとか、民事調停で解決できれば、それが一番だ。
管理会社への民事調停で解決できなければ、今度は問題の住民に対して民事調停をする。
もうそうなると、一つの階に二世帯しかないので、私とその住民とは、かなり気まずい。
でもそんなん気にしてたら、民事調停とかできない。
もうそうなると、完全にケンカである。
管理会社に民事調停をして、問題の住民とも民事調停をする。
とにかく、簡易裁判所の人に間に入ってもらって、話し合いをする。
そしてお互いが納得する解決の方法を考える。
それでもどうしても解決しなければ、仕方がない、弁護士さんの出番である。
そうなると、莫大な金がかかってしまう。
裁判をしなければ解決しないことがはっきりすれば、もう諦める選択肢もある。
そんなに莫大な金を使うほど、私は金持ちではない。
いやそもそも、民事調停だって、できればやりたくない。
もう我慢してしまったほうがいいのではないかと思う。
玄関の前に私物を置かれるくらい、騒音問題に比べたら天国なわけだし。
でも、管理会社にいくら連絡しても無視されること、問題の住民にはこちらが迷惑しているのは充分に伝わっているのに、玄関の前に私物を出すことをやめないということ、腹立たしいことであることは確かだ。
ずっとずっと、腹立たしい思いを抱えて生活しなければならない。
でもみんな、何かしら腹立たしいことを抱えながら生きているに違いない。
だから私も我慢しなければ。
そんな風にも思う。
そんなこんなな複雑な思いが絡み合いながら、生きている。
そんな中、玄関の外に出てみると、なんとびっくり、玄関の前の私物がきれいさっぱり無くなっていた。
それはほんと、すごいびっくりしたし、すごいうれしかった。
自然と笑みがこぼれた。
うれしすぎるようなビックサプライズである。
うそでしょ、って思った。
え?え?え?なんで?なんで、なんで、なんで?
びっくりびっくり。
そんな風に思いながら、登山に出かける。
なんかすごいいい気分。
なんか今日、登山、めちゃくちゃ楽しかった。
なんか、大きな荷物を降ろせたような、とても軽い気分になった。
もう今日の登山はほんと楽しかった。
のびのびと登山を楽しめた。
大きな悩み事がいきなり消えたのである。
いや、悩み事というよりも、大きな負担である。
大きな義務である。
それがすぽーんと消えたのである。
でもこれ、一時的なことかもしれない。
家に帰ってみると、玄関の前の私物、またもとに戻っているのかもしれない。
そんな風にも思ったけど、でも家に帰るまでは、この解放されたようなうれしい気分は続く。
確かにそう、家に帰ってみると、また玄関の前の私物は出てるかもしれない。
でも朝見た時は、すべてなくなっていた。
こんなにうれしいことはない。
まったくもって今日ほど気分よく登山できたのは、本当に久しぶりのことである。
そして本仁田山の登山が終わり、家に帰るときがやってきた。
家に帰るときの足取りはすこぶる重かった。
この開放感は、結局一時的なものなのではないか。
家に帰ってみると、また私物が出てるのではないか。
問題の住民、かなりだらしない性格の人のようである。
いつまでも玄関の前にものを置かずに済むだろうか。
またすぐ元に戻るのではないか。
家に帰るのが怖い。
また元に戻っているのを見るのが怖い。
そう思いながら、恐る恐る家に帰る。
この場合、問題の住民に出くわした場合、どのような態度を取れば良いのだろうか。
いつもは、玄関の前に私物を出されて不愉快なので、無視して通り過ぎている。
しかし玄関の前の私物を片付けた今となっては、向こうも住民マナーを守っているわけだし、挨拶の一つくらいしたほうが良いのではないか。
いや、というか、普段から挨拶くらいはしておけば、いざというときに、「すみません、玄関に私物出すのやめてもらえませんか?」と、にっこり笑って、言えるのではないか。
そんな風にも思う。
とにかく今日は、結局また私物が玄関に出てるのではないかと思って、恐る恐る帰ってきた。
玄関の前の私物がなくなっていたのは一時的なことであり、夜にはまたもとに戻っていた。
そしてその開放感は、つかの間のものでしかなかった。
そのような現実が待ち構えているのではないか。
私はそう思い、恐る恐る家に帰ってきた。
するとどうだろう、玄関の前の私物、夜にも無かった!
やたやた、やったー!
うれしい。
だから今、私は上機嫌である。
この問題がもし永久的に解決できたのだとしたら、こんなにうれしいことはない。
この問題の解決のためには長い時間と、たくさんのお金が必要だと思っていた。
しかしそれが、思いがけず、短期決戦で解決した。
こんなにうれしいことはない。
ただまあ思うことはある。
あの騒音問題のときもそうだけど、今回の玄関の前の私物問題もそうだけど、結局究極的には、完全解決の方法としては、直接対決しかない。そんな風にも思う。
あの解決できなかった騒音問題のことを考える。
あの問題を解決するには、直接対決。その騒音の住民と、直接向き合って、「深夜のおしゃべりはやめろ」と、直接文句を言うしか、解決の方法はなかった。
そこで直接話をして、「やめないなら、訴えるぞ」とか、「訴えるから、君の名前を教えろ」とか言って、教えないのであれば、大家に訊くこともできたであろう。
相手の名前を聞いて、住所は自分の部屋の下の部屋だからわかっている。
住所と名前がわかれば、民事調停の場に引きずり出すことができる。
いや、あの人は欠席するだろうか。
欠席した場合はどうなるのだろう?
それはわからない。
しかし少なくとも、それなりの効果はあるはずだ。
もうその騒音の住民との、根気比べになるかもしれない。
それはことによると、とても不毛な争いなのかもしれない。
でもとりあえず、面と向き合って、真正面からぶつかり合う。
そんな姿勢も必要なのではないか。
そんな風にも思う。
でも騒音問題は、騒音の証明が難しく、裁判で相手の非を証明することも難しいようだ。
だから結局、究極のところでは、結局のところ、直接対決して、相手と戦って、相手に騒音をやめさせる。
それしか方法はない。
そういうのが得意なのは、不良っぽい人になるだろう。
仁義なき戦いの菅原文太みたいな人だったら、「タマ取ったろか!」とか言って脅かして、騒音をやめさせることもできるだろう。
仁義なき戦いの人たちだったら、弁護士さんとか、裁判とか、そういうの必要なく、問題を解決できるのか。
まあなかなか難しい問題である。
「狙われるよりも狙うほうが強いんでー」とか言って、相手をビビらせるような能力も、あると良いのかもしれない。