登山サークル アウトドアチャイルド

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日和田山の山頂には田部井淳子さんの熱い魂が落ちている
投稿日
2020/11/07
こんにちは。
47才の登山好きなプログラマです。
今日は秩父の日和田山に登ってきましたので、その模様をご報告いたします。
今日は嫌な夢を見ました。
会社をクビになった夢です。
その会社の社長は、中学生の頃の友人、山下(仮名)でした。
山下の家は母子家庭でした。
そして山下の母親は、バリバリのビジネスウーマンでした。
服屋をしたり、居酒屋をしたり、自分でいろんな事業をしていました。
そして山下は十代の頃から母親の事業を手伝っていました。
私は24才くらいまでほとんど働いた経験がなかったのですが、山下は十代の頃から、バリバリ働いていました。
二十代前半では、母親の経営する居酒屋の店長をしていました。
山下はとてもしっかりした奴でした。
その山下が夢に出てきました。
夢の中で私が通っていた会社の社長でした。
そして私は山下からバッサリ切られました。
会社をクビになったのです。
そんな夢を見ました。
そして目を覚ましました。
その後はずっと、惰眠を貪ってました。
私は最近、寝たいだけ寝ています。
もうこれ以上寝てられない。
これ以上寝てるのは苦痛。
そのくらいになるまで、寝続けます。
今日もそんな感じでした。
寝続けました。
昼過ぎまででも、夕方まででも、寝たいだけ寝てやろう。
そのように思いました。
寝返りを打ちました。
目を開ければ、時計が見えるはずです。
しかし私は目を開けませんでした。
もうとっくに目が覚めているにも関わらず、なかなか起きず、ずっと惰眠を貪っていました。
そしてようやく起きようと思って、目を開けて、時計を見ました。
意外にも、まだ9時くらいでした。
よし、登山に行こう。
そう思いました。
二日前に仕事を依頼されました。
その仕事が終わるまでは登山はお休みしようと思ったのですが、その仕事が終わりが見えて、きりが良いタイミングだったので、今日は登山に行こうと思いました。
さて、どこに行くか?
そこから決めなければいけません。
私は、秩父の山と高原地図を開きました。
そして色々と見て、日和田山に登ることに決めました。
日和田山は、一度登ったことがあります。
とても楽な登山という印象です。
確か他の山に登ったあと、日和田山に登ったと記憶しています。
一時間もたたずに、あっさり山頂についた、そんな楽な登山。
日和田山の登山の印象は、そのようなものでした。
日和田山にはロッククライミングの練習場がありますが、それ以外は、特に見所があるわけでもない、平凡な山である。
そのような印象でした。
そんな、お散歩気分で登れる山。
それが日和田山の印象です。
あまりきつい登山はしたくなく、お散歩感覚で行ける登山が良いと思いました。
まだ仕事も残ってますし、あまり疲れすぎてしまうと、仕事に差し支えが生じます。
だからあまり疲れないレベルの登山をしようと思いました。
さて、朝は9時ごろに起きて、登山の支度をしました。
それで外出をしました。
そして最寄りの駅に向かいました。
マックでソーセージマフィンでも買おうかと思いましたが、あまり食欲がありません。
でも食料はゼリー飲料しかないし、コンビニでおにぎりでも買おうかと思ったのですが、別に今日は、そんなにハードな登山でもないですし、特におにぎりは買わなくていいかと思い、何も買わずに駅に向かいました。
そして駅の券売機でスイカに千円分チャージして、改札口を通り、プラットフォームに降りました。
自動販売機で温かいお茶を買おうとしましたが、ボタンを押しても、ボタンが光りません。
「すみません、今、全部切っちゃってるんですよ。こちらでお願いします」と、自動販売機の作業の人が声をかけてきました。
それで、その隣にある自動販売機で、温かいお茶を購入しました。
電車が来たので、乗りました。
そして、拝島駅で降りました。
拝島駅構内のコンビニで、おにぎりを四つ買いました。
買わなくても良かったのですが、なんとなく買っておきました。
買って困るものではありません。
登山中に食べなくても、登山の後に食べればいいのです。
拝島駅から電車に乗り、今度は、東飯能駅まで移動しました。
東飯能駅の西口のコンビニで、肉まんを買おうとしましたが、まだ加温中で、買えませんでした。
買えないとなると、ますます肉まんが欲しくなります。
東飯能駅の東口の方に降りてみましたが、そこにはコンビニはありませんでした。
スーパーはありましたが、スーパーで買い物しようとは思いませんでした。
東飯能駅からさらに電車に乗り、高麗駅まで移動しました。
電車で一駅です。
今回は高麗駅から歩いていく登山です。
高麗駅はお馴染みの駅です。
最近よく利用します。
今回の日和田山の登山は、楽な登山です。
すぐに終わるでしょう。
往復で90分くらいで終わるかもしれません。
大した山ではありません。
登山というにはあまりにも、すぐに終わってしまう登山です。
登山というよりもむしろ、散歩です。
限りなく散歩に近い、登山です。
そんな短い登山なので、先を急ぐ必要もありません。
本屋に立ち寄ったり、無人販売を眺めたりなどしながら、のんびりと進んでいきました。
今日は日和田山でトレイルランニングの大会をしているみたいでした。
ゼッケンをつけたランナーたちがたくさんいました。
日和田山の登山口のところには、赤い誘導棒を持ったおじさんが立っていました。
おじさんは私を見ると、「こんにちは」と挨拶してきました。
私も挨拶を返しました。
登山の前に、登山口の付近にあった無人販売の品を眺めました。
その中にブルーベリーのようなものがありました。
500円でした。
それを買いたいと思いましたが、財布の中には、千円札しかありません。
だからひとまず買うのは断念しました。
その無人販売の場所に、田部井淳子さんについてのプレートが設置されていました。
2016年10月20日に永眠された、登山家の女性です。
そのプレートに書かれた田部井淳子さんの紹介文を以下に記載します。

1975年、世界で女性初のエベレスト登頂を果たした田部井淳子さんは、その後海外の最高峰を次々と登攀、私たちに感動と勇気をくださいました。
その偉業の基礎となったのが、若き日夫の政伸さんと通った日和田山での登山訓練でした。
また晩年にはリハビリのために何度も訪れ、登れた喜び、生きている喜びをかみしめていたそうです。
最後まで日和田山と高麗の郷を愛した淳子さんの生き方に感謝し記念プレートを設置します。
2019年10月20日
日和田山からエベレストへの道有志の会

とのこと。
日和田山は女性初のエベレスト登頂を果たしたようなすごい方が何度も登った山らしいです。
日和田山、すごい山じゃないか。
私の中で日和田山の株が、ぐんと上がりました。
エベレスト登山なんて、途方もない話です。
命がけじゃないとできないような登山でしょう。
エベレストの死亡率は、5パーセントくらいであると、どこかで見た記憶があります。
20回登ったら、1回死ぬという計算です。
しかし世の中には無謀な人がいるみたいで、初めての登山がエベレスト登山という人もいるのだと、どこかで見た記憶があります。
スリリングなデンジェラスゲームとして、気軽にエベレスト登山をする人もいるようです。
最もそういう人は、ごく少数だと思います。
初めての登山がエベレスト登山という人がいるという情報も、確実な情報ではないので、話半分に聞いてください。
でも本当に、登山の実力不足の人が、エベレストにチャレンジするケースが、決して少なくないようです。
エベレストガイドの人の本を読んだことがあるのですが、そういう実力不足の登山者はよく見かけるらしく、「あいつは死ぬな」とか、わかるそうです。
いや、そこまで直接的な書き方でなかったかもしれませんが、「あいつは死にそうだなー」とか、そんな風に思ってしまう人を、よく見かけるそうです。
どうやら無謀なチャレンジの人が多いみたいで、そういう人たちがエベレスト登山の死亡率を上げているのかもしれません。
しかし十分な実力を持っている人でも、何かちょっとしたアクシデントなどで、命を落としてしまうことも、時にはあると思います。
本当にエベレスト登山くらいになると、危険と隣り合わせだと思います。
そういう死ぬかもしれないような登山にチャレンジする人の気持ちがよくわかりません。
私は近場のお散歩気分の登山で充分です。
エベレスト登山なんて、夢また夢です。
そもそも、エベレスト登山のツアーは、料金が770万円くらいのようです。
私が見た、エベレスト登山の映画の中では、登場人物が、「7万ドルも払ってるのだから、絶対に登頂させろ!」と、怒鳴ってるシーンがありました。
ツアー会社を利用せずに、自分たちで何から何までするのであれば、200〜300万円くらいで登れるのかもしれません。
確かエベレストは、登山料が、一人100万円くらいかかったと思います。
登頂に成功しても、失敗しても、途中で引き返しても、しっかり100万円取られるそうです。
確か、ネパールの政府に支払うのだと思います。
それがネパールの重要な収入源になっているようです。
そんな、エベレストに登ったような女性が何度も登った山が、日和田山なのです。
日和田山も捨てたものではありません。
そんなようなことを考えながら、登っていきます。
他にも登山者がたくさんいました。
子供づれのファミリーも、何組も見かけました。
日和田山、けっこう良い山でした。
今回登ったルートが、本来のルートのようです。
緑たっぷりだし、岩場なんかもあって、結構登りごたえがありました。
で、結構疲れたし、結構汗もかきました。
で、日和田山、とても良い山だと思いました。
家から近いですし、気軽に登れる山です。
景色だって、良いです。
さすが田部井淳子さんが愛した山だけはあります。
前回私が登った時、全然違うルートで登りました。
本来のルートで登りませんでした。
だから日和田山のことを、魅力の乏しい山だと勘違いしてしまったのですが、今回は印象がガラリと変わりました。
日和田山は人気の山です。
気軽に登れるし、それなりに登りごたえもあるし、ロッククライミングの練習場もあるし、相当渋い山です。
登ってる時、男坂、女坂と分かれてました。
今回は私は男坂で登りましたが、次回は女坂で登りに行ってもいいかもしれません。
山頂の手前にも、景色の良い場所がありましたし、山頂からの景色も、なかなかでした。
人がたくさんいました。
私はせっせと登りました。
そして、山頂に到着しました。
山頂には、石板がありました。
そこに、良いことが書かれていました。
その内容を、掲載します。

陽土は太陽、地球の大自然です
径はミチ(美智)です教えです
人の心は太陽の如くに育てましょう
一九九六年丙子
日高市
苔石 七十才

とのこと。
よく意味がわかりませんが、ありがたそうな言葉が書かれています。
さて、山頂に到着後は、しばし景色を堪能して、下山開始です。
下山では、ロッククライミングの練習場を通りました。
男岩、女岩、とあるみたいで、たくさんの人たちが、ヘルメットをかぶって、腰に器具をつけて、ロッククライミングの練習をしていました。
ロッククライミング、とても面白そうです。
壁をよじ登っていきます。
私はその練習の様子をずっと見てました。
私は、ボルダリングの練習などに行ったことがあります。
ボルダリングとか、ロッククライミングとかは、指の力が必要だと思います。
私は最近、筋トレに励んでます。
腕立てや、腹筋をしています。
腕立てがたくさんできるようになったら、指を立てて腕立て伏せをしたりとかも、やった方がいいかもしれません。
そのようにして指の力を鍛えると、ボルダリングとか、ロッククライミングとかが、上手になるかもしれません。
登山道でも、難所と言われるところがあります。
岩をよじ登っていくような場所、今にも落ちてしまいそうな場所、そんな登山道が、たくさんあります。
そういう道を歩けるのは、上級者だけです。
そういう上級者は、身軽だったり、バランス感覚が良かったりすると思います。
あとやはり、指の力も強いのではないかと思います。
指の力に自信があれば、難所チャレンジも、できるようになるかもしれません。
私は前に八ヶ岳の赤岳に登ったことがありますが、危険な道だなと思いました。
そしてやはり、ボルダリングのスキルとか、指の力とかがあったほうが良さそうだと思いました。
そのほうが、安全に登れると思います。
ツアーなんかだと、八ヶ岳の赤岳、普通にみんな登らされるみたいです。
かなり危険な道なのですが、ツアーは結構、危険な道も、平気でいきます。
それも年配の方が多かったりするのです。
年配の方でもツアーなどで、危険な道をバンバン通ってる人、たくさんいます。
それも、二泊とか、三泊とかの、強行登山をバンバンやってる人も、たくさんいます。
年配の人でもほんと、体力すごい人、たくさんいます。
どうやら歳を取っても体を鍛えたら、体は強くなるみたいです。
それは間違いありません。
私に関していうと、私は昔、陸上やってました。
それで、私は24才くらいの時が、一番体力があったと思います。
それ比べると、今はもう、体力がかなり落ちてます。
しかし今から鍛えることで、24才の時の自分よりも、体力がつくかもしれません。
私は今、47才なわけですが、これから体を鍛えることで、24才の時よりも、強い体になるかもしれないのです。
頑張って体を鍛えて、自分史上最高の体力を獲得したい。
そのように思っています。
ロッククライミングの練習をしばらく眺めたあと、下山を再開しました。
そして、下山が完了しました。
しかし心残りがあります。
無人販売で、ブルーベリーが買えなかった事です。
それを買いたい。
私はそう思い、コンビニに行きました。
そして、肉まんを二つ買い、千円札を崩しました。
そしてまた、無人販売のところまでいきました。
そして無事、500円のブルーベリーをゲットしました。
と思いきや、どうやらそれは、ブルーベリーではなかったようです。
それは、ハックルベリーというもののようです。
ブルーベリーと似ているのですが、全然違うものみたいです。
ナス、トマト、じゃがいもの仲間らしいです。
で、そのまま食べると、まずいみたいです。
これにはがっかりです。
ブルーベリーだと思って買ったのに、実際は調理が面倒くさそうな、ハックルベリーでした。
これ、買ってはみたものの、どうしようかと思います。
調理がとても、面倒くさそうなのです。
ジャムにしないと食べれないようです。
私のイメージでは、そのままポリポリ食べようかと思っていたのに、そのまま食べるとまずいらしい。
甘さは全くなく、臭みがあるらしいです。
生で食べると、もう食べたくなくなるそうです。
しまった。
そうとわかっていたら、買いませんでした。
しまったー。
それでもまあ、何事も勉強です。
何事も経験です。
失敗は成功のマザーです。
それでまた、高麗駅に戻りました。
途中また無人販売で、みかんを買いました。
あと、気になる豆腐屋さんがありました。
いつかそこで豆腐買って帰ろうと思っています。
高麗駅の前には、高麗駅についての説明の看板があります。
高麗駅について、ご存知ですか?
おそらくご存知ないでしょう。
なんでも高麗駅のあたりに、昔、高句麗の人たちが、移住してきたらしいのです。
高句麗は、今の朝鮮半島あたりにあった国です。
その人たちが、戦争で日本に逃げてきたらしいです。
そして、高麗駅あたりに、住んだそうです。
そして高麗神社なんかは、今でもその時の高句麗の人たちの直系の人たちが、神社を管理しているらしいです。
その高麗駅の駅前の看板の内容を以下に記載します。

紀元前37年から668年。朝鮮半島北部から中国東北部は「高句麗(こうくり)」という巨大な国が所有していました。
しかし、唐と新羅の連合軍との戦いに敗れ、多くの高句麗人が海を渡り日本へ難を逃れました。
日本へ多くの渡来人がやってきました。
日本では高句麗のことを「高麗(こま)」と記し、彼らのことを「高麗人(こまびと)」と呼びました。
高麗人は、東国7国【駿河(静岡)、甲斐(山梨)、相模(神奈川)、上総(千葉)、下総合(千葉)、常陸(茨城)、下野(栃木)】にも住んでいました。
当時の政権の大和朝廷は、716年武蔵国に「高麗郡」を置きました。
東国7国に住んでいた高麗人達1799人は高麗郡に移住しました。
高句麗の王族であり、すぐれた人物であった「若光(じゃっこう)」は、高麗郡の郡司を命ぜられ、郡を治めました。
当時、未開地だった高麗郡内を開拓して、産業を興すなど、人々の生活を安定させました。
彼らはそこで、生活の基盤を整え、役所の建設や道の敷設など、郡として必要な整備をしていきました。
高麗神社には高麗郡の郡司であった高麗王若光が祀られています。
現在に至るまで、高麗王若光の直系によって護られており、多数の参拝者が訪れています。
聖天院には、「高麗王廟」など、歴史的関わりの深い建造物があり、多くの方々が訪れます。

とのこと。
歴史を感じさせます。
人類の営み、昔から、色々あるんですねー。
さて、高麗駅で電車に乗りました。
そして、東飯能駅で、乗り換えました。
そしてまた拝島駅で乗り換えて、最寄りの駅まで、帰ってきました。
そしてまっすぐ家に帰りました。
腹が減ってます。
まず、腕立て伏せと、腹筋をしました。
そして、洗濯機をまわしました。
そして、鶏胸肉を茹で始めました。
と同時に、卵二つで、目玉焼きを作りました。
そして、おにぎり四つを食べました。
そして、目玉焼きを食べました。
まだ満腹しませんでしたので、札幌一番味噌ラーメンを作って食べました。
ラーメンには、茹でた鶏胸肉と、潰したニンニクと、長ネギ少々も入れました。
鶏肉を茹でた茹で汁で、ラーメンを作りました。
それだけ食べて、ひとまず満腹しました。
そしてこれを書き始めました。
今回の登山は、こんな具合でした。
今日もお散歩登山でした。
しばらくは、お散歩クラスの軽めの登山が続きそうです。
お散歩以上、登山以下。
そのくらいの軽め登山が、最近はマイブームです。
またきつめの山にもチャレンジしたいとは思っています。
田部井淳子さんのようにエベレストとまではいかないまでも、体を鍛えて、国内の本格的な山にも、どんどん登っていこうと思っています。
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