ユガテ、チャンス!
投稿日
2021/01/11
私の手元にオリオン書房のレシートがあって、本を三冊購入して、4,955円も使ってしまっていることが確認できるのは、一体どういうことだろう?
「現代山岳信仰曼荼羅」「史上最強 仏教入門」「全部わかる 神社ガイド」という三冊の本が、確かに私の手元にあります。
昨日までは無かった本たちです。
一体なぜ、4,955円も出して、それらの本を買う羽目になってしまったのか。
ああすべて、ユガテのせいだ。
ユガテのため、気の迷いが生じてしまったのだ・・・
チャンス チャンス ユガテ チャンス
チャンス チャンス ユガテ チャンス
(唄 吉川晃司)
こんにちは。
登山サークルを運営している47才のフリーランスプログラマです。
プログラミングの仕事をして、収入を得ています。
仕事の依頼をしてくれるのは、X社です。
X社には、いつも大変お世話になっています。
だがしかし、X社のSEさん、返事が無いのは、どういうつもり?
二日前に作業が終了したと連絡したというのに、それに対する返事が来ません。
いつものことではありますが。
こちらが「作業終了しました」と連絡したのだから、「はい、わかりました」とか、何か返事があって、しかるべきではないか。
そのように考え、私は立腹しております。
でもまあ仕方がない。
今はもう、X社のSEさんに食わせてもらっているような状態です。
SEさんに嫌われて、「もういらない」と言われてしまうと、もう何もかもお仕舞いです。
そうなってしまうと、また他の仕事を探さなければいけなくなります。
でも正直、もしかしたら、やっぱり他の仕事を探した方が良いのかもしれません。
というのは、X社はあまりたくさん仕事を依頼してくれないからです。
月に80時間働ければ良いほうです。
そのX社の仕事があるおかげで、私はフルタイムの仕事を探せずにいます。
X社と同様、たまに仕事をくれるくらいの相手でないと、新規でお付き合いができないという状態です。
だから本来、プログラミングの仕事をもっと真剣にやるのであれば、ここはばっさりとX社との付き合いを切ってしまい、きちんとフルタイムで働ける仕事を探すべきでしょう。
フルタイムで働ける仕事に、もしつくことができれば、今の三倍くらいは稼げるのではないかと思っています。
でも今の仕事は自由です。
依頼がなければ遊んでていいし、作業の時間も曜日とか時間帯とか、全部自由です。
それはとてもありがたい。
それに、ぎりぎり生活していけるくらいの収入は確保できているのです。
収入が確保できているから、私はちんたらぽんたら登山をすることもできるのです。
お金がなければ登山なんてできません。
登山ができるのは、お金がある間だけです。
でも今月は、まだ6時間くらいしか働けていません。
とても厳しい状況です。
このままだと、お金が尽きてしまいます。
X社からの依頼も来ないし、収入が極めて少ないため、このままでは、お金が尽きてしまいます・・・
ここしばらく体調を崩してしまっていて、登山に行くことができませんでした。
そして今日、体調もだいぶ回復してきたので、久しぶりに登山に行ってきました。
今日は秩父の、ユガテに行ってきました。
その途中で、橋本山という山の山頂も通りました。
ユガテはご存じでしょうか?
おそらく、秩父の山歩きが好きな人は、みんなユガテを知っていることでしょう。
ユガテは「山上の別天地」などと言われます。
ユガテは、桃原郷四季折々の花が咲き、畑もあり、癒しの場所として親しまれているところです。
そのユガテに今日は行ってきたのです。
朝起きたのは、10時でした。
ずっと体調が悪かったのですが、今日は体調が結構良かったので、これだったら登山に行けると思い、登山に行くことにしました。
今日は、秩父の橋本山に登ってこようと思いました。
それで、ユガテにも行こうと思いました。
一度ユガテに行ったことがあります。
越上山に登ったとき、下山ルートでユガテを通りました。
そのときユガテには花が咲いていました。
良いところだなと思ったことを、記憶しています。
そして今日は橋本山を登り、ユガテまで行こう。
そのように思いました。
ユガテまで行った後は、どうやって下山するか、それはそのときの気分で適当に決めよう。
そのように思いました。
まずは、東吾野駅まで電車で移動です。
途中、東飯能駅で下車して、肉まんを二つ食べ、メロンパンを二つ買いました。
そして東吾野駅に到着して、まずは橋本山の山頂を目指し、歩き始めました。
まず通ったのは、吾那神社です。
縁結びのご利益のある神社のようです。
この神社で祀られている菊理媛命(くくりひめのみこと)という女神が、伊邪那岐命(いざなぎのみこと)と、伊邪那美命(いざなみのみこと)を、仲直りさせたそうです。
そのため菊理媛命は、「縁結びの神」「和合の神」などと言われているようです。
本当に、登山をしていると、神社が良く出てきます。
お寺もよく出てきます。
なぜだろう?
と、思います。
なぜ登山をしてると、こんなに神社とか、お寺とかが出てくるのだろうか。
それで、観音さまとか、不動さまとかも、よく出てきます。
「観音さまが好き!」と言ってる女性もいました。
その女性、仏教のこととか、神社、寺のこととか、めちゃくちゃ詳しいのです。
どこかの大学の先生なのではないかと思うくらいに、めちゃくちゃ詳しいのです。
その他にも、今は縁が切れてしまった女性で、やっぱり神社とか、お寺とか、山の知識とか、めちゃくちゃ詳しい人がいました。
その人を仮に花子さんと名付けます。
今思うと花子さん、山、神社、寺の知識、尋常ではありませんでした。
諸葛亮孔明と同じくらい、知性のある人でした。
しかし性格に問題ありの人でした。
とても面倒くさい人だったのです。
私はそれでも頑張って花子さんとラインのやり取りをしていましたが、そんな私でも、最後には音を上げてしまいました。
その女性につかまって、ラインを退会した人もいるくらいです。
花子さんに対応しきれず、音信不通になってしまいました。
どんなに心の広い男性でも、最後にはその精神をぶっ壊すという、花子さんはそういう恐ろしい女性でした。
しかし本人、一体どういうつもりだったのか?
悪気があってやっていたのか、悪気はなかったのか?
今となってはもう、わかりません。
しかしそんな博学な花子さんのことを、今日は再評価しました。
あの人の知識、すごかったなーと改めて思います。
最近私はちょくちょく山の勉強をしているのですが、勉強をすればするほど、花子さんの知性のすごさを痛感して、花子さんはもしかして、実はとてもすごい人だったのではないかと思い、花子さんとのラインの繋がりが切れてしまったことに、大きな後悔を感じているくらいです。
ああもっと花子さんに山について、色々教えてもらっておけばよかった。
私はどうやら、山の孔明、花子さんの偉大さに、気づけていなかったようです。
花子さんは女王様のように偉そうな態度でしたが、今考えてみると、花子さんは諸葛亮孔明クラスに偉大な人だったみたいなので、あの偉そうな態度も、許されてしかるべきでした。
当時は私は、まさに豚みたいなもので、そして花子さんは真珠だったわけで、つまりこれは、豚に真珠、ネコに小判、そのような状態になってしまっていたようでした。
まあとにかく、まずは出てきた吾那神社が、縁結びのご利益のある神社だったので、「良い縁をください!なにとぞ!」と、しっかりお願いしてきました。
しかしどうなのだろう。
縁結びの神社でお願いするだけで、良い縁をゲットできるものなのでしょうか。
何かもっと、具体的な行動に出る必要があるのではないか。
そもそも何をもって、良い縁というのか・・・
ともあれ吾那神社を通り過ぎ、今度向かうのは、雨乞塚というところです。
とりあえず地図に載っているので、そこに向かいます。
ちなみにそのあたりは、立派なハイキングコースになっているみたいで、現在地つきの地図が、頻繁に出てきます。
樹木の種類もたくさんあって、とても良いところです。
ヤブツバキなんかも、たくさん植えられているようです。
「ヤブツバキの森づくり」と書かれた、大きな説明板もありました。
ヤブツバキは、2~4月くらいに咲くようです。
要チェックです。
そういえば、このエリアの話ではないのですが、菜の花なんかも2~5月くらいに咲くようです。
これもまた要チェックです。
まー、ほんとそのあたりはハイキングコースとして、とても良い場所です。
良い場所を見つけました。
今日は来て正解でした。
なんとなく、橋本山、ユガテには、呼ばれているような感じがしたのです。
それで実際に来てみて、ほんと正解でした。
樹木の種類もかなり多めみたいでしたし。
雨乞塚に行ってみたのですが、全然大したことなかったです。
樹木に囲まれた、何もないところでした。
わざわざ立ち寄る必要なし。
そのような場所でした。
さて次は橋本山です。
橋本山の山頂は、なかなか良いところでした。
ベンチもありました。
山頂の橋本山と書かれた看板も、なかなか立派でした。
で、ユガテに向かうとき、すごいスピードで下ってくる男がいました。
サングラスをしている男でした。
そのスピードがあまりにも凄かったので、もしかしたら名のある登山家、名のあるトレイルランナーだったのかもしれません。
だからサングラスをかけて、顔を隠していたのかもしれません。
その後は、老夫婦とすれ違いました。
夫婦で登山、いいですねー。
というわけで、ユガテに到着。
ユガテ、やっぱり渋い場所でした。
ユズの木とか、生えていました。
ユガテの山頂というのでしょうか、「ユガテ」と書かれた看板のあるところで、若くて可愛い女性の二人組が、楽しそうに食事をしていました。
で、私が近づくと、女性たちは私には見向きもしませんでした。
私が存在していないかのような態度で、楽しくおしゃべりしながら、食事をしていました。
「邪魔者、うせろ!」、そう言われているような空気を、びんびんに感じます。
とりあえず私は、「こんにちは」と挨拶しました。
そると女性二人は眉間にしわを寄せ、さもイヤそうな表情で、「こんにちは」と、ぶっきらぼうに挨拶してきました。
しかし私をまったく見ません。
もう完全に、私がそこに存在していないかのような態度を、貫いていました。
それで私はとても居心地が悪くて、一応ユガテと書かれた看板だけ写真に撮って、すぐにその場を立ち去りました。
おそるべき冷たい空気でした。
さて後は下山です。
また東吾野駅に戻ります。
そのあたりは、虎秀やまめクラブ、というクラブの人たちが、登山道の整備とか、掃除とか、フリークライミング、ロッククライミング用の岩場を作ったりとか、色々してくれているようです。
あとそのあたりでとれる材木は、西川材とかいって、有名な材のようです。
そのあたりは結構いろいろあります。
顔振峠とか、北向地蔵とか、鎌北湖とか、面白そうな場所が結構あります。
黒山三滝なんかも、そこからかなり離れた場所ですが、あります。
黒山三滝、ずっと気になってます。
男滝、女滝、天狗滝の三つの滝で、黒山三滝というようです。
今度近いうちに見てこようかと思っています。
さてまあそんな感じで、また東吾野駅まで戻ってきました。
いやあ今回は、とても良いハインキングコースでしたよ。
良い運動にもなりました。
登山としては、かなり軽めの登山です。
しかしユガテには注目です。
四季折々の花が咲くみたいなので、時期によって、まったく違う姿を見せてくれそうです。
サクラとかも咲くのかもしれません。
葉っぱの無い面白そうな形をした樹木が、たくさんありました。
あ、ロウバイなんかは、ちょくちょく見かけました。
二月、三月、四月あたり、ユガテがどんな状態になるのか、気になります。
あと、下ってくるときにも、福徳寺という寺を見かけました。
「武蔵野観音霊場 三十番 福徳寺」と、書かれていました。
やっぱほんと登山してると、神社とか寺を見かける機会が多いです。
なぜなのか?
一体なぜ、登山をしてると、神社とか、寺が、よく出てくるのか。
その事実が、さすがにもう無視できなくなってきました。
私は別に、神社に行く気も、寺に行く気もなく、ただ登山がしたいだけなのです。
にもかかわらず、一体なぜ、登山に行くと、神社や寺が、たくさん出てくるのか。
それは一体、なぜなのか?
その疑問が、もう無視できないくらいに大きくなってしまい、それについて調べずにはいられなくなってきました。
それで、ネットで調べても良いのですが、もっときちんと正しい情報を知りたいので、本を買ってくることにしました。
というわけで、今日は登山が終わってから、立川駅まで行きました。
そして本屋で色々探してみて、「現代山岳信仰曼荼羅」「史上最強 仏教入門」「全部わかる 神社ガイド」の三冊の本を買ったというわけです。
なぜ登山をしてると、寺とか、神社がよく出てくるのか?
それは「現代山岳信仰曼荼羅」を読めば、少しはその謎が解き明かされると思います。
あとやっぱり、神社とか、お寺とか、ある程度は知っておいた方が、より楽しく登山ができるのではないかと思ったので、「史上最強 仏教入門」「全部わかる 神社ガイド」なども買ったというわけです。
観音さまとは、なんなのか?
不動さまとは、なんなのか?
仏教の流派、何が違うのか?
般若心経とはなにか?
なむあみだぶつと、なんみょうほうれんげいきょうは、なんなのか?
何がどう違うのか?
そういったような謎を一つずつ、解き明かしていきたいと思っています。
それによって、より登山を深く楽しめるようになるのではないかと期待しています。
さっそく電車の中で、「現代山岳信仰曼荼羅」を軽く読んでみました。
高尾山とか、富士山とかで修行している、修験者の話が、出てきました。
滝に打たれたりなどして、修行するようです。
一体なぜ、修行するのか?
修行すると、何かいいことがあるのか?
欲望三昧で生活したら、ぜひダメなのか?
むろん修行すると、何か良いことがあるに違いありません。
それがなんなのか。
多少はわかります。
欲望を我慢して、禁欲して、修行して、一体どんな良いことがあるのか?
まず一つとして、禁欲して、善行して、良いことばかりをして、悪口を言わなかったり、怒らなかったり、優しい言葉使いを使ったりして、真面目に、誠実に、感じ良く生きていく。
頭をまるめ、真面目に修行に励む。
人が喜ぶことを一途にする。
そんな修行をすることで、何が得られるのか?
それはきっと、人からの信頼です。
それはきっと得られるでしょう。
前科十犯の極悪人でも、悔い改めて、真面目に修行して、良いことをたくさんして、困ってる人、苦しんでいる人を助けたりして、善行を繰り返すことで、それを見ている人たちは、「ああ、あの人、とっても良い人ね」、そのように思うでしょう。
昔は地獄のようにろくでもない、カス中のカスだったような人であっても、毎日真面目に、誠実に、せっせと一途に、頭を丸めて、良いことばかりをしていたら、そのカス中のカス、ゴミ中のゴミ、ゴキブリ、ムカデみたいな、ろくでもないようなカス中のカスであったとしても、やがては、長く修行して、人の役に立ち続け、人に喜ばれることばかりをしていたら、やがて、「ああ、あの人、とっても良い人ね」と思ってもらえる。
それはつまり、人から信頼される、信用されるということです。
そのゴキブリ人間は、すべての欲望を我慢して、せっせと修行に励むことで、人からの好意、人からの信用、人からの信頼。
そういうものを手に入れる。
それがおそらく、修行して得られる良いことなのでしょう。
もっというなら、得られるのは、人からの愛情なのかもしれません。
で、「愛がすべて!」と、歌ってる歌手もいますし、もしかしたら愛が一番の宝かもしれません。
つまり「人から愛されるために」、修行しているのかもしれません。
まあ、「愛される」と、信用、信頼は、若干違うかもしれませんが。
その愛というのは、男女の愛とか、恋愛の愛とかではなくて、人間としての愛、みたいな愛だと思います。
家族や肉親に感じるタグイの愛だと思います。
つまるところ修行している人たちは、人から愛されたいから、その他のすべての欲望をすべて我慢して、毎日せっせと修行に励んでいるのでしょうか・・・
まあ、修行している人の目的はよくわかりませんが、悟りたいということなのかもしれません。
悟ると何か良いことがあるのか?
生きてると、迷うことばかりです。
何をしたらいいのか、どう生きればいいのか?
わからないことだらけです。
悟るとは、ずっと知りたかった答えを、知る。
それが悟りかもしれません。
何をすべきか、どう生きるべきか。
それをはっきりと、知る。
それが悟り。
そして悟った後は、もう迷わない。
後は一直線。
まさに不惑。
そんな感じで、もっとシンプルに生きれるようになれるのかもしれません。
まあ今回の登山はそんな感じでした。
登山してると色々と、気になることがでてきます。
樹木の名前だったり、花の名前だったり、寺、神社だったり。
山の中なんて、何もないと言えば、何もありません。
でもたくさんあるといえば、たくさんある。
まあとりあえず私は、樹木の名前、花、神社や寺について、そのあたりを、ちょくちょく知っていこう。
そのように思っています。