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本を持って稲荷山コースから高尾山に登ってきました
投稿日
2021/01/16
こんにちは。
登山サークルを運営している47才のフリーランスプログラマです。
今日は高尾山に行ってきました。
朝起きたのは、11時でした。
この時間から行ける山は、どこだろうと考えると、やっぱり高尾山になります。
高尾山はもう50回くらいは登ってるのではないかと思います。
にも関わらずまた高尾山に登って、はたして楽しいのか?
そのように思われることでしょう。
ただ今回は、テーマがあるのです。
本を持っていって、勉強しながら登山しよう。
そのように思いました。
持っていった本は以下の三点です。
山と高原地図「高尾・陣馬」2020年度版の、小冊子
高尾 自然観察手帳
まるごと!高尾山 こだわりガイド
今日は山と高原地図の小冊子の「稲荷山コースから高尾山へ」というページの文章を読みながら、同じ道を歩いていくことにしました。
というわけで、まず高尾山口駅まで移動しました。
そして高尾山口駅から右に進んで、ケーブルの清滝駅まで行きました。
駅の左の車道に入ってすぐのところに、稲荷山コースの登山口があります。
そこからしばらく急な階段の登山道を登ります。
すると、旭稲荷の小社が出てきます。
稲荷とはなんだ?
気になったので、ネットで調べてみました。
どうやら、「食物の神」らしいです。
鳥居の前の二匹の狛犬は、キツネのようでした。
稲荷は、キツネを意味する言葉でもあるようです。
旭稲荷の小社から尾根上をたどって行きます。
その道中は、「高尾 自然観察手帳」を片手に、樹木の名前を調べながら登っていきました。
名前のわからない樹木を見かけるたびに、本を開いて、樹木の名前を調べるのです。
いつも必ず調べるのではなく、そこらへんは適当です。
名前のわからない樹木が出てくるたびに、全部調べていたら、いつまでたっても登山が終わりません。
ひとまず気になった樹木が出てきたときだけ、本で一応調べます。
本で調べても、樹木の名前が判別できないことがほとんどです。
しかしなんとなく、おそらくこれかな?などと、想像しながら歩きます。
ひとまず、以下の樹木は確認できたと思います。
サカキ、アラカシ、シラカシ、アカガシ、ツクバネガシ、ヤマザクラ、ウワミズザクラ、ブナ、イヌブナ、アカシデ、コナラ、チドリノキ、オオモミジ、イロハカエデ、カヤ、モミ、スギ、ヒノキ
もっとも、認識間違いをしている可能性があります。
樹肌を見て、葉を見て、本の写真と実物を見比べて、一番近いものを見つけ、「これかな?」と思って、判別しました。
このように本を見ながら登って行ったので、かなりゆっくり登りました。
そのように歩き、稲荷山の山頂に到着しました。
そこには、稲荷山展望台(あずま屋)があります。
あずま屋とは、なにか?
これも調べてみたところ、屋根と柱だけで、壁の無い建物のようです。
そういう休憩場のことを、「あずま屋」というそうです。
しかし稲荷山のあずま屋は、屋根もありませんでした。
前に見たときは屋根はあったと記憶しているのですが、どうやら屋根はとっぱらってしまったようです。
果たしてそれでも、「あずま屋」と呼べるのでしょうか?
そこらへんはよくわかりません。
稲荷山の展望台からは、東側に八王子市街から都心にかけての展望が開けています。
たくさんの人がそこで休憩しながら、風景を楽しんでいるようでした。
先に進みます。
そこからしばらく進んでいくと、高尾山の山頂を周回する5号路に出合います。
ただそこまでの道のりはとても長く感じました。
途中、ファミリーが上から降りてくる人に、「山頂までは、まだ遠いですか?」と聞いていました。
それに対して上から降りてきた年配の女性は、「まだまだけっこう距離があるわよ。頑張ってね」と、言っていました。
確かに、その地点はまだまだ序の口で、そこから山頂までの道のりは、とても長く感じました。
しばし歩き、その5号路に出合いました。
ここからは、山頂までの最後の階段の急登です。
それを頑張って登り、多くの人で賑わう高尾山の山頂に到着しました。
山頂からは西側の展望が開けていて、晴れていれば丹沢山地と中央本線沿線の山々の向こうに雄大な富士山を眺めることができます。
ただ残念ながら本日は雲が多くて、富士山の姿を見ることはできませんでした。
山頂には名物のとろろそばなどを味わえる茶店があり、休日は大盛況です。
私は現在、無職のような生活をしているため、曜日の感覚がまったくないのですが、本日はどうやら土曜日のようです。
山頂の茶屋は確かに、大盛況しているように見えました。
山頂にあるビジターセンターでは、高尾山の自然や歴史を展示で学べ、周辺のガイドウォークなども開催されているので、高尾山の自然をより深く味わえます。
しかし残念ながらコロナの影響のためでしょう、山頂にあるビジターセンターは、閉まっていました。
だから残念ながら、ビジターセンターで高尾山の自然をより深く味わうことはできませんでした。
山頂からの下山を始めます。
そして私は、「まるごと!高尾山 こだわりガイド」をリュックから取り出します。
薬王院の境内にある以下の建物を、全部チェックするつもりです。
それらは全部、本で紹介されています。
四天王門(山門)
仁王門
大師堂
大本堂
飛飯縄堂
飯縄権現堂
天狗社
富士浅間社
福徳稲荷社
福徳弁財天
奥ノ院不動堂
六根清浄石車
願叶輪潜
八大龍王堂
愛染堂
それらを全部、しっかり見てきました。
すべてについて言及すると、とても時間がかかってしまうため、割愛します。
私はこのたび、高尾山について、少し調べてきています。
それで色々、理解しました。
歩いていると、女児が父親に、「ねえ、どうして高尾山って、天狗が多いの?」と、質問していました。
それに父親は答えることができませんでした。
ふふふ。
私はそれに、答えることができます。
高尾山の薬王院は、有喜寺とも言います。
高尾山の薬王院は、神社ではなく、お寺なのです。
そしてそのお寺では、飯縄大権現を祀っています。
つまり、飯縄大権現という神を、信仰しているのです。
その飯縄大権現とはどんな神様かというと、簡単に言ってしまうと、カラス天狗です。
で、戦勝の神様です。
つまり、戦いに勝つという御利益のある神様です。
そして、大天狗、子天狗は、そんな飯縄大権現の、お供なのです。
つまり、手下です。
だから高尾山には、天狗が多いのです。
その他にも高尾山では、薬師如来という、健康の神様も祀られているのですが、飯縄大権現のほうが、扱いは大きいようです。
高尾山といえば、飯縄大権現という感じです。
だから高尾山といえば、天狗なのです。
お寺で祀られている神様は、たくさんいます。
以下のような神様がいるようです。
釈迦如来
阿弥陀如来
大日如来
地蔵菩薩
薬師如来
千手観音
釈迦涅槃仏
虚空蔵菩薩
十一面観音
弥勒菩薩
文殊菩薩
不動明王
六通智勝仏
毘沙門天
聖観音
馬頭観音
これらの神々は、四国の八十八大師霊場で祀られている神々のようです。
薬王院の境内には大師堂というお堂があります。
そのまわりにぐるりと、八十八の、お地蔵さんが並んでいるのです。
願いごとを書いた願い石を持って八十八大師を巡拝し、最後に収めると、四国霊場八十八カ所巡りと同じご利益がいただけるそうです。
八十八のお地蔵さんに一円ずつお賽銭を置きながら、巡るようです。
薬王院の境内には、まだ他にも色々ありました。
不明なものもたくさんあります。
少しずつ、それらを理解していきたいと思っています。
あと、薬王院の境内で、ありがたい教えが書かれていたので、以下に記載します。
不殺生(ふせっしょう) あらゆる生命を尊重しよう
不偸盗(ふちゅうとう) 他人のものを尊重しよう
不邪淫(ふじゃいん) お互いを尊敬しあおう
不妄語(ふもうご) 正直に話そう
不綺語(ふきご) よく考えて話をしよう
不悪口(ふあっく) 優しい言葉を使おう
不両舌(ふりょうぜつ) 思いやりのあることばを話そう
不慳貪(ふけんどん) 惜しみなく施しをしよう
不瞋恚(ふしんに) にこやかに暮らそう
不邪見(ふじゃけん) 正しく判断しよう
十善戒(じゅうぜんかい)というもののようです。
この十善戒というものは、ウィキペディアでも確認できます。
しかしウィキペディアに書かれている十善戒と、高尾山で見た十善戒は、かなり違っているような印象を持ちました。
しかしこの十善戒を守って生きていくのは、とても良いことであると思います。
特に「お互いを尊敬しあおう」という教えは、大事であると思います。
私はなぜか、いつも人から軽蔑されてしまいます。
尊敬されません。
それで不愉快な思いをすることが多いです。
人から敬意を払ってもらえてないと、いつも思ってます。
どうも人は私のことを、「こんなやつには絶対に敬意なんか払いたくない」と、思うようです。
なぜなのでしょうか。
なぜ私はいつも、人から軽蔑され、軽んじられ、バカにされてしまうのでしょうか。
「お前は尊敬に値する人間ではないからだ。お前は軽蔑されて当然な人間だからだ」、そう言われてしまえば、それまでです。
しかし私は、人から敬意を払ってもらいたいと、強く願っています。
そして今まで、人間関係がうまくいかなかった人たちは、私に対して、敬意を払っていなかったような気がします。
でも敬意を払われないと、ムカつきます。
だから人間関係うまくいきません。
逆にいうと、敬意さえ払ってもらえれば、私も相手に対して敬意を払いますので、人間関係がうまく行くのではないかと思っています。
問題は、私が絶対に人から敬意を払ってもらえないキャラであるということです。
私の人間関係がいつもうまくいかないのは、私は人から絶対に敬意を払ってはもらえない人間だからです。
人はいつも私のことを、軽蔑して、軽んじて、バカにします。
だから私の人間関係は、いつもうまくいきません。
だから今後の課題として、人から敬意を払ってもらえるような人間になる。
それが私の目指すべき大きな目標なのではないかと思っています。
さて、薬王院の境内も一通り見て、後は一号路で下山してきました。
そして高尾山口駅で電車に乗り、家路につきました。
途中、立川のジュンク堂によりました。
そして、「修験道 その歴史と修行」という本を買いました。
修験道というものに、興味を持っています。
それは日本に古来からある山岳信仰と、仏教が合体してできたような宗教のようです。
家の近所にスーパーにもよりました。
そして、焼き鳥、ローストチキン、あぶりチキンが半額になっていたので、それらを買ってきました。
そして電子レンジで温めて、それらを食べました。
しかしなぜか、下痢をしてしまいました。
胃腸が弱っているのかもしれません。
とりあえず胃腸を強くするため、先ほどキャベツを食べました。
今日の登山はそんな感じでした。
色々と、とても勉強になりました。
私は今、坊主頭です。
三ミリの坊主にしています。
そのせいか、薬王院のお坊さんたちが、気のせいか、仲間を見るような目で、私を見ていたような気がしました。
もしそうだったら、とても光栄です。
薬王院の僧侶は、誰でもなれるものではないようです。
選ばれしものだけが、なれるようです。
高尾山での修行体験は、誰でも申し込めばできるようです。
その中で、特に真面目そうな人には、薬王院側から、「うちの正式な修行僧になりませんか?」と、声がかかるらしいです。
そうなると高尾山の宗教イベントなどでも、山伏として、修行の一行に加わることができるらしいです。
そうなると、同じ修行僧仲間から、困ったときは色々と助けてもらえるかもしれません。
金に困ったときは金を貸してくれたりとか、あるいは借金の連帯保証人とかにも、なってくれるかもしれません。
ホームレスになったときには、家に居候もさせてくれるかもしれません。
そのように、困ったときに助けてくれる人になってくれるかもしれません。
困ったときに助けてくれる人がいるのか、いないのか。
それはとても重要なポイントなような気がします。
でも私は残念ながら、まだまだ本気で真面目に、仏教の教えを守って生きていこうという気にはなれません。
現在の欲望まみれ、憎しみまみれの状態から、まだまだ卒業できそうにありません。
80才くらいになって、もういつ死んでもおかしくないような状況になったら、仏教の教えを守っていきていこうという気になるかもしれません。
もっともっと苦しい状況になったら、仏の教えにすがりたくなるときが、もしかしたら来るかもしれません。
もしそのような状況になったら、しっかりと十善戒を守ろうと思います。