曹洞宗のお寺に行ってきました
投稿日
2021/01/30
こんにちは。登山好きな47才のフリーランスプログラマです。今日は11時30分ごろに起きてからずっと仕事をしていました。それで仕事が終わったのが、13時30分くらいでした。
それから、奥多摩の山と高原地図を持って散歩してきました。今日は登山ではないのですが、山と高原地図で実線が引かれている道を歩いてみることにしました。それでひとまず、青梅駅まで移動しました。そこから散歩しました。
永山公園、青梅鉄道公園と、通りすぎました。永山公園のあたりでは、テニスを楽しんでいる人たちがたくさんいました。そのあたりにある道場では、剣道の練習をしてるらしき人たちの気合の声も聞こえてきました。青梅鉄道公園では、中で楽しんでいる母子の姿などを見ました。青梅鉄道公園の中に入るには、入場料が100円必要なようでした。
公園から少し歩くと、勝沼神社という神社がありました。その中に入ってみると、勝沼神社の本殿の他にも、色々なお社が中にありました。大田稲荷神社、勝沼天満宮、山祗神社(やまずみじんじゃ)、熊野御嶽神社、琴平神社、靖国社が、神社の境内にありました。
あと、背の低い鳥居がずらりと並んでいました。神社ガイドの本に、123基の鳥居が100m以上にわたって並んでいる元乃隅神社の鳥居というものが紹介されているのですが、その短いバージョンのようなものが、勝沼神社の境内にありました。
勝沼神社は、いろんなご利益のある神社などが複数設置されている神社のようでした。
その勝沼神社を見た後は、そのあたりにある、吹上しょうぶ公園という公園の方向を目指して歩きました。それでしばし歩いて、分岐点があり、どちらに行こうか迷いました。
まっすぐ歩くと、天寧寺というお寺があるようです。今回はそのお寺を見てくることにしました。本当は霞丘陵自然公園というところなども見て来たかったのですが、それはまたの機会にします。
その天寧寺というお寺に入口には、お地蔵さんが何体か立っていました。そのお地蔵さんに向かって、年配男性が熱心に手を合わせていました。年配男性はその後、天寧寺の中に入ってきました。
私も天寧寺の中に入っていきました。かなり大きなお寺でした。お墓もたくさんあります。門もとても立派です。
天寧寺の宗派を見ると、曹洞宗とのことでした。座禅などをする宗派のようです。
お寺の中には立派な鐘楼などもありました。門に上に「高峯山」と書かれていました。お寺の山名というのでしょうか。天寧寺の山名は、高峯山というようです。
両隣にいかめしい鎧をつけた仁王のような像が立っている門もありました。高尾山の薬王院と違って、観光客向けの説明書きなどは、あまり無いお寺のようでした。その鎧をつけた仁王みたいな像たちの名前も、わかりませんでした。高尾山の薬王院で見た、多聞天みたいな感じの姿でした。
門をくぐり、ずいずいと中に入っていきます。あれが本堂だろうと思って、本堂に近づきました。
しかし本堂の中で、なにやら法事をしているようでした。それであまり本堂の近くにいくことは、ためらわれました。しかし本堂の入口の付近で、「自由にお持ちください」と書かれたパンフレットがあったので、それを一つ貰っていこうかとも思ったのですが、なにやらとても厳粛な雰囲気の行事をしていたので、それ以上近づくことはできませんでした。
少し距離を置いて中の様子を伺っていたのですが、いきなりお経を読む声が聞こえてきました。その声が、とても重々しいのです。その声を聞いて、いかんと思って、逃げるようにその場を去りました。すごく厳粛な感じの雰囲気で、お経を読む声もとても重々しいものだったので、冷やかし半分で来てはいけない場所だと思ったのです。
私は冷やかし半分、遊び半分でお寺を覗きにきたのですが、そういうチャラチャラした人間を遠ざけるような雰囲気がありました。本気で真面目に参拝しに来てる人しか、入っては行けない場所、みたいな雰囲気でした。
お寺のお坊さんというと正直言うと、法事とか葬式とかで金を稼いでいる、宗教商人みたいな類の人たちで、どいつもこいつも宗教で金を稼ごうとしているだけのペテン師、詐欺師みたいな人ばかりだと思っていたのですが、今日のその寺の雰囲気を見ると、全然そんな感じではなく、とても真面目に仏教をしているのだということが分かりました。お寺のお坊さんは宗教で金を稼ごうとしてる商売人みたいな人ばかりではなく、ホントに真面目に仏教をしている人たちもいるのだということを気付かされました。
そのくらい今日のお寺は、不真面目な人間は中に入っていきにくいような、厳粛な雰囲気があったのです。要するに宗教というのはとても真面目なものなのだということに気付かされました。
私自身は、宗教は単なる話のネタ扱いしています。しかしそれは非常に不真面目な宗教の扱い方であったのかもしれません。確かにインチキ宗教はたくさんあるに違いありませんが、本気で真面目に真剣に宗教してる人も、確かにいるのだと思います。今日は冷やかし半分でそのお寺の中に入っていって、あまりにも厳粛な雰囲気だったので、逃げるようにその場から立ち去りました。それで、仏教って、めちゃくちゃ真面目なものなのだなあと思い、そう思わせられたそのお寺に興味を持ちました。
で、その天寧寺の宗派が曹洞宗であるとわかりました。そして家にある仏教入門で、曹洞宗について調べてみました。
曹洞宗は、「ひたすら座禅を行う」、座禅の宗派のようです。その修行方法は、ただひたすら座る、というもののようです。その、ひたすら座禅を行う修行方法のことを、只管打坐(しかんたざ)というそうです。
曹洞宗の宗祖は道元という人のようです。その修行方法は、ただ座り続ける、というもので、座禅だけでなく、生活のすべてが修行であるという考えから、食事や入浴などにも細かい規則があるようです。
で、この天寧寺の本尊はなんだろうと思って探してみたのですが、本尊が書かれた看板などは見つかりませんでした。で、家で調べてみると、曹洞宗の本尊は釈迦如来のようです。釈迦如来は、インドの釈迦(ゴータマ・シッダッタ、もしくはガウタマ・シッダールタ、ゴータマ・シッダールタ)のことです。仏教の開祖です。
仏様の名前は如来とか菩薩とかあるのですが、如来という名前の仏様が一番偉いようです。悟りを開いた仏様は、如来というそうです。他に如来は、阿弥陀如来とか、大日如来とかがいます。
その下に菩薩がいます。弥勒菩薩とか、観世音菩薩とか、地蔵菩薩とかがいます。菩薩は悟りの一歩手前くらいの仏様たちのようです。
先日本屋で仏教のコーナーを見ていると、良寛という人の本がたくさん出ていました。とても有名なお坊さんのようです。その良寛も、曹洞宗の僧のようです。
曹洞宗というのは、インターネット上で現代社会の諸問題について答えるなど、熱心な布教活動をしているようです。外国人の参禅なんかも、積極的に受け入れているようです。
で、曹洞宗では、臘八攝心会(ろうはちせっしんえ)という宗派行事が行われているみたいで、それは非常に過酷な修行のようです。その内容は、一週間ただひたすら座禅三昧の日々を送るというものです。その間中、一日二時間しか寝られず、寝る時も、座禅の姿勢のまま寝なければいけないようです。そういう過酷な修行もするようです。一般向けに一泊二日で、座禅体験を提供している寺もあるみたいです。
どこの仏教の宗派の人たちも、真面目に仏教をしているとは思うのですが、曹洞宗は、とくに真面目に仏教をしているような印象を持ちました。それに比べて自分自身の生き方、過ごし方、考え方などを見てみると、とても不真面目なような気がします。一般的に、普通に生活していると、基本、かなり不真面目な生活になってしまうのもしれません。
テレビのバラエティー番組とか、映画とかドラマとか、みんなチャラチャラしてて、お気楽で、不真面目で、真面目な人はバカにされるみたいな風潮があるように思います。しかしそんな中、真面目一徹で、宗教している人たちもいるのだということに、気付かされました。
宗教といえば、うさんくさい、インチキ、そんなイメージもありますが、本来はとても真面目なもので、軽々しく近寄れないような厳格なものなのかもしれません。私はそう言ったことに気付かされ、嗚呼もっと真面目に生きなければ、真面目に考えなければ、もっと真面目な人間にならなければ、などと思わせられました。
とはいっても、そんなに真面目一徹で生きてると息がつまります。ときにはチャラチャラと、不真面目でいたほうが楽しくもあります。でもそういう真面目に生きている人たちもいるのだということに気付けたのは、とても良い事だったと思います。
さて、そんな具合に寺を見てから、家に帰ってきました。今日は唐揚げ弁当を買ってきて、先ほど食べました。
しかしお寺や神社巡りも、なかなか良いものです。その厳粛な雰囲気に触れると、反省心が促されます。やっぱ人間、結局のところ、真面目が一番なのかもしれません。
ユーチューブとかテレビとかでも、欲望まみれで、チャラチャラ生きて、大金稼いで、楽しそうにしている人たちがたくさん出てきます。そういうのを見ると、あれが勝ち組だと思ったり、あんな風になりたいと目指したりします。みんな欲望を満たすことに一生懸命です。快楽や欲望、楽しいことを追求しています。
でも仏教では、そういう快楽の追求が、苦しみを生むと言います。だから、快楽を追及してはいけないらしいのです。快楽、欲望、楽しいこと、嬉しいこと、美味しい食べ物、かっこいい服とか、そういうこの世の快楽を、追求してはいけないらしい。良い車乗ったりとか、でかい家に住んだりとか、異性にモテたいとか、そういうものを追求することが、苦しみを生むらしいのです。
だから現代社会の価値観と、仏教の価値観とは、真逆なような感じです。仏教にはそういう哲学があるようです。
特定の異性を深く愛することや、我が子を深く愛するようなことも、仏教的にはダメらしいのです。愛しすぎてもいけないようです。愛を求めすぎることもまた、苦しみを生むのだそうです。
しかし今日の天寧寺のお坊さんのお経の読む声には驚かされました。とても重々しい声なのです。よくそんな声が出るなと思います。
この声の人はきっとめちゃくちゃ真面目に違いない。そんな風に思わせられ、冷やかし半分の私が、思わずその場から逃げ出してしまったような効果がありました、その声には。
しかしお寺巡り、神社巡りというのも、なかなか面白いものです。今後もいろいろ見ていきたいところです。