第四稿完成!
投稿日
2021/02/15
最近小説を書いて、完成させて、手直し手直しを重ね、第三稿が出来たのですが、第三稿でも明らかな文章の間違いを発見してしまい、第四稿は確実に必要という状況になりました。
その小説、400字詰めで換算すると58ページの小説ですが、もう20回くらいは読んでます。
それで第三稿、どうせ第四稿を書かなければいけないのであれば、他にも色々と直そうと思って、直し始めたのですが、かなり大幅に直し始めたのですが、そうなると、直してますます悪くなったのではないかという心配が出てきました。
直すことにより、逆に悪くなったのではないかと思い、それがとても気になりました。
それでいったん、今まで直したものは全部リセットして、また改めて、今度は最小限の、どうしても直す必要があるところだけを直すという方針で、また最初から最後まで見直しながら、修正して、そしてようやっと、第四稿が完成しました。
誤字脱字は、一つもないはずです。
ただ、こういう言い方ではなく、こういう言い方のほうが良いのではないか、
あるいは、ここは、こう書くよりも、こう書く方が、日本語として正しいのではないかとか、色々引っかかる部分があって、でもそれらをいちいち直していたら、やっぱり、なかなか収まらないのです。
直してみて、そのあとに、いや、やっぱり元のままのほうが良かった。
みたいな話にもなるのです。
だから結局、見るたびに、どうしても直したくなる部分というのは、いつまでたっても尽きることなく、次から次へと出てきてしまうのです。
であるならば、もうここは一つ完結として、まずは一つ、第四稿で終了で良いのではないかと思っています。
もちろん、至らない点がたくさんありますし、百点満点ではありませんが、百点満点を求めすぎると、いつまでたっても完成に至らないのです。
他の小説も、もう次ができてます。
次のやつも、これから、何度も何度も、読み直し、推敲を繰り返し、完成に持っていなかければいけません。
だから、第一作目のほうは、ひとまず、至らない点、未熟な点など、多々ありますが、それでも一応、ひとまず完成として、後は、明かな誤字脱字とか、明かな大間違いとか、そういうのだけを直して、他の少々の不備は、この際目をつぶろうかと思っています。
そして、それを小説の賞に応募しようと思っています。
小説の賞に応募しても、受賞したりはしないでしょう。
はっきり言って、レベルの低い小説です。
でも、だからと言って、賞に応募しないのは、やっぱり良くないのではないかと思います。
受賞する自信がないからと言って、賞に出さず、手元にだけ置いておいて、「もしかしたら、最終選考に残ったかも」などと、自分を慰めて、つまり、実力を比べる場に出して、白日の下に、自分の小説のレベルが、他の人たちと比べ、到底その足元にも及ばなかった。
その現実を、知るのは確かに辛い。
でも、それはすべきだと思います。
その第一作目がダメながら、第二、第三と、どんどん作っていけば良いのです。
そうしていくべきではないかと思うのです。
とはいっても、慌てて応募する必要はありません。
今、第四稿は紙に印刷して、表紙をつけて、穴をあけ、ヒモで結んで、製本しました。
そしてそれを、大事にテーブルの上に置いてます。
もう、完成品のはずです。
さすがにもう、誤字脱字などは無いはずです。
もしあれば、また印刷し直しです。
第四稿、完成。
その作業が終わり、ほっとして、束の間、良い気分になってます。
もう直すところが無いはずの、完成品であるはずの、その第四稿は、また明日以降にでも、ちらちら中身を見てみようと思います。
そして、実際に確かに直すところが一つもないということを確認できれば、いよいよ、小説の賞に応募します。
もし応募期間が過ぎてしまっていたら、他の賞に応募します。
焦って応募する必要ありません。
でも本当は、400字詰めで、70ページ以上くらいじゃないと、応募できる賞は限られてきます。
でも、私の小説は58ページなので、ムリして70ページに膨らましません。
58ページでも良いという賞を見つけ、その賞に応募しようと思います。
しかし昨日は、久しぶりに酒を飲んでしまいました。
そして今日は、11時15分に起きてしまいました。
昨日はたっぷり、仕事しました。
でも今日はまだ、3時間くらいしか仕事できていません。
小説の事が気になってしまい、なんかモヤモヤしてしまったので、仕事が手につかないのです。
仕事のほう、ウェブサイトを修正するような仕事ですが、今回の仕事は大変です。
とてもやることが多いです。
やることがあまりにも多すぎて、先があまりにも長すぎて、だからなかなか、手が出ません。
すぐに終わる仕事だったら、すぐに終わらせますけど、すぐに終わらない仕事は、なかなか手が出せません。
でも、手を出さないと、いつまでたっても終わりません。
で、結局、時間をかければ、少しずつでも、仕事は進んでいくのです。
だからたくさんの時間、仕事をする。
仕事に時間をかける。
それが必要だと思います。
だから、8時間やれば8時間分仕事は進むし、20時間やれば20時間分仕事は進むのです。
だからつべこべ言わず、とにかく仕事に時間を使うべきです。
そうしないと、今の仕事はいつまでたっても終わりません。
今日は雨が降りました。
こんな日は家に閉じこもって仕事をしていれば良かったのですが、小説のほうがどうしても気になってしまい、もやもやしてしまいました。
いや、正直言うと、小説がもやもやというよりも、何もかもうまくいかないこの今のこの現実に、危機感を感じているのです。
悪い流れを感じます。
サークル登山のほう、先日色々な人にラインを送ってみて、その感触から、また近々、サークル登山できるかもしれないと思ったのですが、実際は、そんなに甘くなさそうでした。
まだまだ、そういう流れは来てないかもしれません。
今はまだ、良くない流れの中で、ねちねちと、ナメクジのように耐え忍び、ひっそりと生活して、じわじわと、良い流れが来るのを、牛のように辛抱強く、忍耐強く、待ち続けるしかないのだと思います。
宗教の修行でもして、私が優れた人格の持ち主になれば一番良いのですが、正直、そんな風にはなれません。
私はあくまで自分のエゴ、自分の欲望に忠実に、醜くおぞましく、今の姿そのままで、一生変わることはないと思います。
つまり人格者になり、心が広くなったり、心が優しくなったり、度量が大きくなったりとか、そんな立派な人間には、なれないだろうと思います。
死ぬまで今のままだと思います。
もうひとかけらも成長しないと思います。
そんなことを思い、もうひとかけらも成長しそうにないと思い、で、この現実を打破する勝算が全くなく、このような状況で、一体何をすれば良いのかと考えたところ、それで結局、小説にすがった、小説に依存した、小説に逃げた、そのような行動になりました。
その結果、「そうだ、第三稿を全部直し、第四稿を作ろう!」と、思い立ち、それに突破口を見た気がして、そこにすべての解決があるような気がして、自分のすべきことが見つかった気がして、それで第三稿を修正して、第四稿を完成させて、束の間、満足感を得られているのです。
今、けっこう幸福感を感じています。
でもまあとにかく、今からまた、仕事をしなければいけません。
この第一作目が、やっぱりなかなか良いのです。
読み返すたびに、自分のことを、「けっこうやるじゃん」と思って、何か自分が偉い人間になったような気にさえなってしまうのです。
でも、その一作目だけかもしれません。
たまたま奇跡的に、偶然に、けっこう面白いものが書けた。
でも、それを実際に他の人が読んだ場合、どう思うか。
それはわかりません。
他の人が見ると、全然面白くないかもしれません。
その可能性は、とても高いです。
なんと言っても私は、いつも自分ひとりだけの世界で生きているような人間だからです。
でもまあ今は、誰にも見せてないものだし、自分ひとり、「なかなか良いものができた」と思えるなら、それでひとまずオッケーです。
人が読んでしまうと、実際問題、結局面白くは無いのだと思います。
読まされた人は、きっと困るでしょう。
「さて、全然面白くなかった。でもこいつにとっては、自信作のようだ。どうしたものか。感想を求められても困る。まったく面白くないし、そもそも意味がわからなかったし、とても読みづからったし、内容もからっぽだった・・・」などと思われ、困らせてしまうことでしょう。
でも小説の賞に出せば、その後、賞の人からはなんの連絡も来ないはずだし、もしそうなら、私は妄想の中で、「二次審査くらいは、通過しただろうかきっと。最終選考で落ちたのだろうなきっと、ふふふ・・・」などと言って、悦に浸ることができるのです。
なまじっか人の読ませてしまうと、その幻想が崩れてしまいます。
私は幻想、空想、妄想の中で行き、その中で満足感が得られるなら、それはそれで良いのではないかと思っています。
とりあえず、今はもう小説のモヤモヤ感も消えましたし、もう仕事に打ち込めそうです。
でもその前に、ちょっとユーチューブを見るかもしれません。
明日から晴れみたいだし、登山とか、ハイキングとかも、なるべく早く、また行きたいところです。
とにかく、仕事をしなければいけません。