登山サークル アウトドアチャイルド

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高尾山、小仏城山、相模湖駅まで歩きました
投稿日
2021/06/30
今日は一号路で高尾山に登ってきました。
まず家からJR高尾駅に移動して、北口で降りて、駅の近くのファミリーマートで、大盛りペペロンチーノとスパイシーチキンを購入して、イートインコーナーでそれらを食べました。
そして再び電車に乗り、高尾山口駅に移動して、トイレを済ませ、登山を開始して、一号路を歩き、途中、権現茶屋で冷やし団子とか言うような名前の団子を食べ、団子が包まれていた紙みたいなものを二重にしたビニール袋に入れて、ザックにしまい、そして薬王院に向かって歩きました。
浄心門ももちろん通ったし、神変堂の前も通りました。
神変堂では神変大菩薩が祀られているわけですが、神変大菩薩とは役行者(えんのぎょうじゃ)というお方で、山岳信仰である修験道の開祖です。
高尾山には天狗の腰掛杉という杉の木があるのですが、天狗の腰掛杉って名前の杉、御岳山にもあった気がしてネットで調べてみると、やっぱり御岳山にも天狗の腰掛杉という名前の杉、ありましたよ。
まあそれはいいとして薬王院まで歩き、門を潜ると、出ました。

懺悔懺悔、六根清浄。

私が最近気になってる言葉です。
その言葉についての詳細な説明が、なんと高尾山の薬王院の看板に書かれていました。
これは貴重な文章ですよ!

【六根清浄(ろっこんしょうじょう) 石ぐるま】
懺悔とは、心を迷わせる、貪り(自分最優先の心)、怒り、愚痴(諦めたり、挫けたりする弱い心)の三つの煩悩を悔い改め、反省の心を起す意味で六根清浄とは、人間の大切な感覚器官を指し、物事を見つめる眼、匂いをかぐ鼻、音を聴く耳、味覚を味わう舌、感触を感じる身、以上の大切な情報を判断する意(心)が清らかになる願いを神仏に祈る意味があります。
懺悔懺悔!六根清浄とお唱えしながらお回しいただき、自らの心を見つめ直したうえで、身も心も新たな気持ちで明日からの人生を精一杯ご精進ください。

とのことです。
この六根清浄という言葉はですね、以前に買った仏教入門の本には、どこにも載ってませんでした。
だから多分この言葉は、仏教関係の言葉ではなく、修験道関係の言葉なのではないかと思っています。

私は今まで何度も何度も高尾山に登っているのですが、それでも高尾山に行くたびに、何かしら新しい情報に気づきます。
特に一号路は、とても情報量が多いです。
石井スポーツの人が、「毎日高尾山」なる活動をしていると耳にしたことがあるのですが、確かに毎日来てもいいくらい、高尾山の情報量は膨大です。
まあ今日も薬王院を歩き、気になるチラシとか、色々もらってきて、そして、本堂ですかね、いや、飯縄堂だったかもしれません・・・
薬王院の中には大きなお堂が二つあり、本堂と、飯縄堂です。
飯縄堂が、上にあるやつです。
で、どっちだったか忘れたのですが、まー今日もまた、色々気づきました。
初めて気づいたことが、また幾つかあります。
まず、基本的な話になってしまうのですが、天狗って、大天狗と、小天狗がいます。
大天狗は鼻が長く、小天狗は大天狗に比べると、鼻が小さいです。
大天狗の像は赤くて、小天狗の像は青かったと記憶しています。

高尾山の薬王院の御本尊は、飯縄大権現様です。
で、飯縄大権現様と、天狗の関係は、なんじゃらほい?と、気になるところですが、
天狗様は飯縄大権現様の眷属(随身)、とのことです。
眷属って、なんじゃらほい?と気になるところですが、
眷属は、一族。親族。更に広く、郎党、従者。とのことです。
じゃあ、随身ってなんじゃらほい?と気になるところですが、
随身とは、つき従って行くこと。また、その人。お供。とのことです。
つまり、飯縄大権現に、天狗は、つき従っている、ということだと思います。
だから、天狗は飯縄大権現の部下、みたいな者だと思います。
つまり、水戸黄門でいうところの、助さん、角さんが、小天狗、大天狗、という感じだと思います。

まあまあ、そんな感じで、ほんと高尾山(薬王院)って、よくわかりません。
もともとは、薬師如来が御本尊だったっぽいのですが、中興とやらをして、その中興とやらで、飯縄大権現を祭るようになって、今はもう、飯縄大権現がメインで祀られています。
至る所に、「南無飯縄大権現」という、のぼり旗が立っています。
でも、薬王院の奥の院が、どうも、不動堂みたいなのです。
つまり奥の院では、不動明王を祀っている、ということだと思います。
で、その多分奥の院だと思う不動堂の後ろに、今度はまた、浅間神社が立ってます。
そこには、「南無浅間大権現」と彫られた石柱があります。
浅間大権現ってなんだ?と思ってしまい、謎が謎を呼びます。

まー、高尾山、弘法大師とか、愛染明王とか、八大龍王とか、まー、色々、祀られているのです。
後、稲荷とか。
すごいいっぱい祀られてますよ、しかし。
何してんの?薬王院、って思います。
色々と謎すぎます。

あ、薬王院で目にしたありがたい十善戒も、また書いときますね。
もう何度か書いた気がしますが。

【十善戒】

不殺生(ふせっしょう) あらゆる生命を尊重しよう
不偸盗(ふちゅうとう) 他人のものを尊重しよう
不邪淫(ふじゃいん) お互いを尊敬しあおう
不妄語(ふもうご) 正直に話そう
不綺語(ふきご) よく考えて話をしよう
不悪口(ふあっく) 優しい言葉を使おう
不両舌(ふりょうぜつ) 思いやりのあることばを話そう
不慳貪(ふけんどん) 惜しみなく施しをしよう
不瞋恚(ふしんに) にこやかに暮らそう
不邪見(ふじゃけん) 正しく判断しよう

日々の生活で実践して仏の教えを体感しよう

とのこと。
この「十善戒」はウィキペディアと、薬王院では、説明書きの内容が違います。
上記は、薬王院解釈の、十善戒であると、いうことなのでしょう。

まあ十善戒、守るの、大変っすよね。
あらゆる生命を尊重しよう、でもゴキブリは殺す。
他人のものを尊重しよう、まあそりゃそうだ。
お互いを尊敬しあおう、それがベストです。でもなかなか尊敬してもらえないなー・・・
正直に話そう、正直な人って、いますかね? 会ったことがありません・・・
よく考えて話をしよう、そうなんですねー。これはできてません・・・
優しい言葉を使おう、これも微妙にできてませんねー
思いやりのあることばを話そう、できてませんねー
惜しみなく施しをしよう、してないですねー
にこやかに暮らそう、むっつりして暮らしてしまってます・・・
正しく判断しよう、これも難しいですね

まあ、大変ですよ、十善戒。
なかなか実践は難しそうだという印象です。
でもまあこれは完全に実践できたら、やっぱり相当、いいことあるんですかねー

でもまあなんでしょうね。
仏教では、欲望は煩悩のもとっていうし、でも世間一般で、幸せとは、金が欲しいとか、旨いものを食べたいとか、素敵な異性と付き合いたいとか、欲望を満たせるかどうかで、幸せかどうか、決まりますよね。
でも、欲望は煩悩のもとなので、欲望を追い求めてはいけないわけです。
だから世間一般でいうところの、幸福というものは、十善戒を実践したところで、獲得する事はできないでしょう。
まあ、欲望を滅するために、修行でもする事で、何か見えてくるものでも、あるんですかねー。
節制して、禁欲して、何かいい事あるんですかねー。

まあやっぱり、みんな自己中心的に生きてる気がしますね。
私自身も含め。
完全に自己中心的な感じだと思います。
で、気をつけてても、なんか、なかなか人と仲良くできなかったりとか、ついつい、相手を怒らせることを言ったり、傷づけることを言ったりとか、しますよね。
悪気がなくても、相手を不快にしたりとか、不快な思いをしたりとか、しますよね。
まあ、難しいですよねー。
なんか、殺伐としてるなー、と、思うこともあります。
お互いに本音を隠して、お互いを利用し合うというか。
利用し合うって感じ、ありますよねー、やっぱり。
そういうのってなんか、違うのかなーって思うけど、どうなんですかねー。
まあ、あれですよ、やっぱ、「お互いを尊敬しあおう」ってところなんか、特に難しいのではないかと思います。
尊敬に値する人間だったら、自然と尊敬されるし、そうじゃない人を、尊敬するのは無理です。
まあ難しいですよねー、やっぱりねー。

というわけで、高尾山に来ると、色々と考えさせられることが多いです。
で、とりあえず、高尾山の山頂に到着して、それから、小仏城山の方に向かいました。
小仏城山、今日は茶屋は全部閉まってました。
城山茶屋と、春美茶屋の看板がありました。
春美茶屋って、万年閉まってないですか?
そんな気がしますね。
城山茶屋は、週末なんかは営業してそうです。
城山茶屋では、名物の、巨大かき氷が、食べられる時期になってます。

で、まあ城山茶屋で休憩した後、相模湖方向に下山しました。
いやー、こけましたねー、ガッツリ。
雨が降って、地面が濡れてて、滑りやすくなってました。
そしてガッツリ、一回、こけました。

気を取り直して下山して、まあ、相模湖駅まで歩きました。
そして駅前のかどやというお店に入り、ワカサギフライの定食、みたいなものを食べました。
ごはん大盛りにしてもらったので、料金は930円でした。
まあ、相模湖駅の店も、多少は開拓しておきたいところです。
後、気になる店が、二軒ほどあったので、機会があればその二軒でも、食事してみたいですね。

まあ今日の登山はそんな感じでした。
まあ何回行っても高尾山はなかなか面白いものですね。
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