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普寛神社(ふかんじんじゃ)、あらため、秩父御岳山
投稿日
2021/12/13
10時13分、西武秩父駅のバス停5で、三峯神社行きのバスを待つ。
三峰口で、下車予定。
そこからさらにバスに乗り、普寛行者の生地らしき、落合で下車予定。
その近くに、普寛神社があるので、そこを見てくる。
本当は秩父御岳山に登る予定であったが…
15時34分、秩父御岳山に登ってきて、今は、三峰口駅で、電車が出るのを待っている。
このたび、西武秩父駅からバスに乗り、落合バス停の近くの、大滝温泉遊湯館というバス停で下車して、そこから落合まで歩き、そこから秩父御岳山の登山を開始することができた。
普寛神社はコロナ対策のため、中には入れない状態だった。
登山開始直後に、道の工事中に出くわした。
行き止まりか、道を間違えたかしたかと、不安になったが、道は間違ってはいなかった。
工事中の隙間を抜け、道を進む。
13時過ぎころ、山頂に到着。
山頂はどうやら、普寛神社の奥の院という扱いらしい。
山頂には小さな祠が鎮座して、鐘がある。
鐘を鳴らすと、良い音がした。
山頂からの風景も、なかなか良し。
では下山。
三峰口駅まで下山していく道のりは、長い。
今回は誰にも会わない、無人の山での登山。
山と高原地図を見ると、途中で普寛神社の奥宮があるとなっているが、どうやら違う道で下ってしまったらしい。
もっとしっかり地図を見ながら下山すれば良かった。
秩父御岳山の説明の案内板には、確かに以下のように記述されている。

秩父御岳山は、普寛行者の開山で、山頂は普寛神社の奥宮で御岳大神が祀られています。

と、確かに書かれている。
では地図中にある、普寛神社奥宮とは、一体なんなのか。
奥宮が二つあるのか。
謎は残った。
さて、16時55分、電車の中、帰途。
先ほど、西武秩父のフードコートで、チャーシューしょうゆラーメン大盛り。
フードコート、かなりリニューアルされていた。
焼き肉を食べたり、酒を飲んだりして、祭の湯にも入ろうかなどとも思ったが、今回はやめておく。
もしかしたら、明日に行くかもしれないため。
しかし普寛神社奥宮のご祭神が気になる。
あくまでも普寛神社の奥宮なので、主祭神は、普寛霊神ではないかと思う。
ふもとの普寛神社の主祭神は、普寛霊神で間違いないようだ。
しかし説明板には、
山頂は普寛神社の奥宮で御岳大神が祀られています。
と、記載されている。
しかしその説明板が百%正しいとは限るまい。
あくまで、普寛神社の奥宮なので、普通に考えるなら、奥宮の主祭神も、普寛霊神、で良いのではないか。
しかしそもそも、御嶽信仰の開祖は、普寛行者であると思うので、要するに、御嶽大神には、普寛霊神の含まれていると、考えることが自然か。
しかし本日、朝は7時に起きて、秩父御岳山に登るにはあまりにも遅く起き過ぎたと思ったが、そんなこと言ってると、いつまで経っても秩父御岳山には登れないので、今日は下見程度の軽い感覚で来てみたが、思ったよりも早く現地に着くことができて、無事に秩父御岳山の山頂に登ることができて、暗くなる前に下山することもできた。
そして今日は登山中、一口もお茶を飲まなかったし、六個持っていったゼリー飲料も、一つも飲むことはなかった。
そして今日の特徴として、日頃の不平不満というものが登山中に爆発した。
これはどういうことかと考えると、普段心の中に溜まっていた鬱憤が、表面に出てきて、ギスギスした言葉をさんざん吐く、という結果になった。
これはきっと、体にとっては良いことなのだろう。
色々な不平不満が体の中に溜まっていき、それを発散出来ずに抱え続けることで、さまざまな体調不良が起こってしまうのではないか。
やはり人には、悪の心と、善の心があり、悪の心を抑え、隠しておくだけでは健康に良くはなく、たまには発散し、ギスギスした言葉を思う存分発生することは、体に良いことに違いない。
そしてそのようになる効用が、どうやら登山にはあるらしい。
登山をすることで、自分の気持ちに素直になる。
嫌なことは嫌、良いことは良いと、思えるようになる。
嫌なら嫌で、構わない。
ムリはしなくていい。
自分の心、自分の感情に、素直になること。
それを山は、私に教える。
そして多分それは、健康に良い。
その結果、良くないこともあるけれど、長い目で見た場合、それはそれで、おそらく正解。
ムリはしなくていい。
自分の感情に素直になっていい。
それを山は、確かに教えてくれる。
それは登山の効果の一つであると、言えるだろう。
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