登山サークル アウトドアチャイルド

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犬の散歩 2024年9月14日(土)
投稿日
2024/09/14
2024年9月14日。
土曜日。
11時37分。
小作駅のホーム。
コカコーラの綾鷹を、犬に飲ませている。
大好物の緑茶を飲めて、嬉しそうに、犬は尻尾を振っている。
また今日も、犬を青梅丘陵に連れていく。
「また青梅丘陵かよー」
犬は文句を言っている。
「もっと色々な場所に連れて行ってくれよー」
不満を漏らしている。
「こんなの、全然楽しくないよー」
贅沢を言っている。
やれやれだ。
「青梅丘陵に連れていってくれて、ありがとう」という、感謝の気持ちがない。
しかしまあ、それは良いことだ。
そのような不平不満が出るということは、それだけ犬の心身が健康な証拠である。
色んな場所に行きたい。
それはなんと健康的な欲望か。
その好奇心と遊び心は、あっぱれだ。
しかしすまないが、金が無いのだ。
だから節約しなければいけないのだ。
それに犬には、書いたり読んだり、して貰わなければいけない。
犬は小説家を目指している。
しかしこの二十五年間、犬は遊んでばかりで、書いたり読んだりは、あまりしていなかった。
そのためもうすぐ51歳になるというのに、犬は小説家になる気配が全然ない。
だからもう犬をあまり遊ばせず、大人しく、書いたり読んだりさせている。
そのようにして、少しでも文章力をつけさせたいと思っている。

12時6分。
さきほど買い与えたコーヒーを、犬は飲み終えた。
すでに我々は青梅丘陵を歩いている。
犬よ、喜べ。
あとで豚肉を食わせてやるからな。
焼肉のタレをかけて、フライパンで焼いてあげるからな。
うれしいだろ?
肉、好きだろ?
でもその後は、頑張って勉強してもらわないと困るぞ?
でも勉強も楽しいだろ?
しかし今日は涼しいなあ。
雨でも降るのかなあ。
まだ蟬は鳴いている。
いつ蟬は鳴くのをやめるのだろう。
蟬の命は、いつまでか。
犬よ、聞くがよい。
貴様は才能がないと嘆いているが、才能とはつまり、読書量なのだ。
いや、それは単なる読書ではない。
血肉になるような読書なのだ。
それがどれだけできているか。
それが才能というものだ。
しかし綿矢りさは17歳で「インストール」で第38回文藝賞を受賞したではないか。
17歳の小娘に、一体どれほどの読書量があったというのか。
確かに太宰治好きの綿矢りさは、17歳で、すでに面白い小説を書けていた。
だから確かに貴様の言う通り、才能イコール読書量とは、必ずしも言えない。
だがしかし、才能が単に「読書量」という場合もあるのだ。
文豪の小説を、どれだけたくさん読んでいるか。
それが実は、才能である場合もあるのだ。
つまり才能は、努力の賜物なのだ。
読めば読むほど才能は芽生えるのだ。
ただしぼんやりと読んではいけない。
それはあくまで、血肉となる読書であらねばならない。
我々は歩いている。
坂道を歩いている。
だからとりあえず読んだほうがいい。
急がば回れと言うからなあ。
しばらくは近場の散歩で我慢するのだ。
そもそも近場を散歩できるだけでも、充分に恵まれているのだぞ?
それに感謝しなければいけない。
青梅丘陵は何回歩いても、気持ちの良い道のりではないか。
耳にまとわりつく虫もめっきり減っているようだし、長渕山コースを散歩するのもいいかもなあ。
高尾山も、たまになら行ってもいいかもなあ。
秩父の山々は交通費が高くなってしまうので、ちょっと贅沢すぎるような気がするなあ。
読むべき文豪は、たくさんいるぜ?
名作をすべて読み尽くすのは、一生かかっても無理だぜ?
だから本との出会いは、縁なのだ。
虫が耳にまとわりついてきた。
まだこいつら、生きてるなあ。
秋になると、こいつらはいなくなるだろう。
きっとその寿命は、蟬と同じくらいだろう。
どうだい犬よ。
楽しいだろ?
気持ちいいだろ?
もうすでに緩やかな道である。
しかし犬もだんだんと体力がついてきているのではないか?
楽なコースとはいえ、毎日のように登山やハイキングをしているのだから。
しかし今日は誰とも会わないなあ。
土曜日なのになあ。
しかし一週間が過ぎるのが早いなあ。
第四休憩所で座っている若者。
電話をしていた。
「こんにちは」と、声をかけてきた。
犬もかすかに挨拶を返した。
昨日犬に中学の国語の参考書を買い与えた。
税込で3190円もした。
その参考書には文豪がたくさん紹介されている。
それを見て、今後なにを読んでいくのか、犬は決めればいい。
読みたいものを読めばいい。
もともと犬はそれほど読書が好きではない。
しかし少しずつでも読書の楽しみに、犬が目覚めていけばいいなと、私は願う。
犬の好みというのもあるだろう。
好きな小説、嫌いな小説、色々あるだろう。
笑える小説が良いなと、犬は思う。
ユーモアとかギャグとかのある、軽めの小説のほうが、犬は好きなのかもしれない。
しかし犬は難しい小説も読むべきである。
そのようにして読解力をつけるべきである。
難しいが面白い本も、たくさんあるのだ。
なんでも読めるようになっておいた方がいい。
難しい小説は読めないというのではいけない。
読む力というのも大事である。
本離れが進んでいると言われる昨今、昔ほど人は本を読まなくなっている。
今はむしろ、漫画だろう。
映画やドラマだろう。
本を読む人はきっと少なかろう。
小説でお金持ちになれるのは、村上春樹とか東野圭吾とか、そういうレベルの人たちだけだろう。
色々と、大変なこともあるがなあ。
こんな風に呑気に犬に勉強させること。
それがいつまでできるのか。
そんな余裕がいつまであるのか。
高齢男性と、「こんにちは」と挨拶を交わす。
ランナーが走ってきて、通り過ぎた。

13時20分。
青梅駅のホーム。
電車の中。
犬にサントリーのルイボスを飲ませている。
思ったのだけど、犬は心構えが悪い。
このように犬を散歩させ、犬が何か棒に当たったとしても、犬はその棒を、すべて拒絶するだろう。
例えば見知らぬ人が犬に話しかけても、犬はきっと無視するだろう。
すべての棒に対して、犬はバリヤーを張るだろう。
しかしそれではいけない。
せっかく犬を歩かせて、棒に当てても、ことごとく拒絶するのでは、もう、どうしようもない。
それではもう、犬以下ではないか。
「そんなことより、豚肉食わせろ」
ああ、食わせるさ。
食わせるとも。
犬め、貴様には食欲しかないのか?
しかしまあ、食欲があるのは良いことだ。
健康の証である。
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