登山サークル アウトドアチャイルド

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雲取山で遭難か、遭難以外か(8)
投稿日
2024/09/27
この世界には、〝男〟と〝女〟と、〝アンポンタン〟がいる。
そのアンポンタンが、無人の山道を歩いていた。
あん! ぽん! たーん!
アンポンタンは叫んでいた。
死ぬほど怖いからである。
彼は、雲取山登山の、下山中であった。
三峯神社から、せっせと登り、なんとか雲取山の山頂に到着して、その後、三条の湯のある方向にむかって、下山し始めていた。
その道は、今までの道と、何もかもが違っていた。
それは、狭く険しい、一本道であった。
そして人間がいない。
死のような静寂の中に、野生動物たちの蠢く気配が、彼に、ひしひしと伝わっていた。
そこは異世界――すでに、人間の世界ではなかった。
そこは弱肉強食の、野生の動物王国であった。
そこに、招かれざる客――人間が、闖入したのである。
野生動物たちの姿は見えない。
しかし、近くにいる。
動物たちが騒いでいる気配が、ひしひしと、彼に伝わっていた。
まるで地球に、突然、火星人が侵入したようなものである。
その場合、人間たちは、大騒ぎするだろう。
それと同じことが、この雲取山の、最もヤバいルート――三条の湯ルートで、起こっていた。
そう、確かに、野生動物たちは騒ぎ、怒っていた。
そして、怯えていた。
野生の動物王国に、最も危険な動物――人間が、入り込んだのである。
人間は、彼らを銃で撃つ。
そして、彼らを火で炙り、彼らの肉を食う。
彼らにとって人間は、悪魔的生物であった。
彼らに死をもたらす、残忍な死神であった。
アンポンタンは、野生動物たちがパニックになって騒いでいる気配を、ひしひし、身近に感じていた。
彼もまた、怯えながら、歩いていた。
このまま只で済む訳がなかった。
必ず酷い目に遭う。
野生動物たちは、彼をこのまま、ただでは帰さない。
彼は、身の危険を感じていた。
彼は何も知らなかった。
まず彼は、クマについて、なにも知らなかった。
クマは人間を恐れている。
だから人間を見ると、基本、クマのほうから、逃げてくれる。
それを彼は、知らなかった。
クマは必ず襲ってくると、彼は思い込んでいた。
クマの目に止まってしまったら最後、クマは必ず、彼を襲う。
彼はそう思い込み、怯えていた。
この魔界――三条の湯ルートに入り込んで、歩いているうちに、彼は突然、それに気づいてしまった。
この山には、凶暴なクマがいる。
そしてクマは、人間を襲う。
そのことに、突然、気づいてしまった。
(俺は今日、クマに食われて、死んでしまうのか……)
それは、あり得る話のように思えた。
このまま無事で済むわけがない。
しかし本当は、クマは基本、人間を襲ったりはしないし、人間を食べたりもしない。
しかし彼は、クマは人間を襲い、人間を食べるものだと、勘違いしていた。
つまり、野生のライオンや虎と、同じように、クマのことを思っていた。
そんな恐ろしいクマがいる場所で、呑気に、彼は歩いているのである。
その恐ろしさに、彼は突然、気づいたのだ。
彼は、慌てて、引き返そうとした。
しかし、思いとどまった。
ここで引き返すと、臆病者と、言われてしまう。
彼は人一倍の臆病者であったがゆえに、己の臆病に、負けたくはなかった。
たとえ襲われて食われても、最後は前のめりに死にたい。
彼は坂本龍馬の言葉を思い出しながら、ヒーロー気分に酔いしれていた。
そして、腰を抜かすほど怯えながらも、震える足取りで、前に進んでいた。
しかしそれでも、とにかく怖い。
きっとクマは、出てくるだろう。
そのときに、おめおめと、無抵抗のまま、クマに食われてしまうのか?
否!
断じて、否!
彼は、戦わなければいけなかった。
もしクマが出てきたら、勇敢に、クマと戦うのである。
勝てるとか、勝てないとか、そういう問題ではない。
相手がいくら強くても、怖くても、勇敢に、戦うのである。
戦った上で、雄々しく笑って、食われて、死ぬ。
それが男の美学である。
彼はクマと、戦う気、満々だった。
(クマよ、俺様は、ただでは貴様に食われないからな! 貴様の目を、必ず、道づれにしてやるからな!)
そう、彼は、クマに襲われた場合、勝てぬまでも、クマの目に、指を突っ込み、クマを失明させてやろうと、息巻いていた。
しかし、それでもやはり、クマと素手で戦うのは、あまりにも無謀すぎる。
(ああ、日本刀があればなあ!)
彼は、心の底、そう願った。
妖刀ムラサメが欲しかった。
それでクマと戦うのである。
極真空手の大山倍達は、「人間は武器を持ってはじめて、野生動物と互角に戦える」と、言った。
だから彼は、日本刀が欲しかった。
喉から手が出るほど、日本刀が欲しかった。
日本刀さえあれば、クマと互角に戦える。
それでも結局、勝てないだろう。
でも日本刀さえあれば、戦う勇気は持てる。
勝てるかもしれないとも思う。
素手だと、絶対に勝てない。
しかし現実問題、彼は日本刀を持っていない。
だから彼は代わりに、あたりを探して、ちょうど良い長さの、木の枝を見つけた。
そしてそれを持ち上げて、
「どうだ、これが俺様の、妖刀ムラサメだ!」
と、叫んだ。
実際それは、なんなる木の枝であった。
しかし彼は、その枝が、妖刀ムラサメであると、信じ込んだ。
(これで戦える! 戦ってやろうじゃねえか、ケーッ! おもしれえ、戦ってやろうじゃねえか!)
彼は、変なテンションになっていた。
そして、周囲を血走った目で、ねめ回しまがら、ずいずいと、道を歩いていた。
今にもクマが出てきそうであった。
そして、血みどろのバトルが始まるのである。
妖刀ムラサメで、アンポンタンが、勇敢に、クマと戦うのである。
しかしそこに現れたのは、意外にも、人間であった。
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