雲取山で遭難か、遭難以外か(10)
投稿日
2024/09/29
雲取山からの下山、今にもクマが出て来そうな道を、彼は歩いていた。
下山中、ずっと人に会わなかったが、先ほど、若い登山者と、すれ違った。
その時に、その若者に、「この道の向こうに、バス停はありますか?」と質問し、「ある」という回答を貰った。
それで彼は、元気百倍になっていた。
彼は急ぎ足で、歩いていた。
もう早く、こんな怖いところから、抜け出してしまいたかった。
彼は三条の湯に向かって、黙々と、歩き続けていた。
しかし、なかなか三条の湯には、到着しなかった。
あと、どのくらい歩けば、そこに着くのか、全然わからないまま、道標がない道を、大きな不安を抱えて、歩き続けていた。
天然のままの自然が多く残された、野生動物の気配をひしひしと感じさせる、険しい道のりであった。
その道を、護身用の「木の枝」を持ちながら、黙々と歩き続けていた。
するとようやく、建物が見えてきた。
どうやらそれが、三条の湯のようであった。
やれやれと、彼は思った。
ここまで来れば、もうクマは出てこないだろう。
そう思い、安心した彼は、木の枝を放り捨てた。
そして彼は、三条の湯に到着した。
建物の外には、誰もいなかった。
中には人がいただろう。
しかし彼は、誰とも顔を合わせたくはなかった。
それに、こんな恐ろしい場所にある山小屋を、不気味なようにも思っていた。
彼は、何もかもに、怯え切っていた。
しかし、なにはともあれ、無事に三条の湯に到着したのだから、もうバス停までは、五〜十分程度歩けば、着くだろう。
彼は楽観的に、そう思っていた。
それでバス停に向かって、呑気に歩き始めた。
しかしその道のりが、また、大変であった。
歩いても歩いても、どれだけ歩いても、バス停には、まったく到着しない。
もしや、また、道を間違えてしまったのか?
彼は不安であった。
人には誰も会わない。
道標は、まったくなかった。
だから、その道で正しいのか、間違っているのか、まったく、わからない。
しかし、一時間以上歩いても、まったくバス停につかないので、道を間違えている可能性が、濃厚なように思えた。
だったら引き返し、三条の湯にいる人に、正しい道を尋ねたほうが良い。
しかしそれも、面倒に思えた。
彼はなるべく、人と話をしたくなかった。
この道で、正しいのか正しくないのか、よくわからないという状況で、彼は、その道を、歩き続けていた。
周りはだんだんと、暗くなっていく。
すぐに夜になりそうだった。
またか。
と、彼は思った。
彼は先日も、山の中で、夜をむかえてしまっていた。
それと同じことが、今回も起こりそうな気がした。
結局、三条の湯から、三時間、歩いた。
そしてようやく、その単調な道のりが終わった。
道路に出た。
もうすっかり、夜になっていた。
そして彼は、なんとか真っ暗な中、お祭バス停に到着した。
二時間に、たったの一本しかバスが来ない、バス停であった。
次のバスが来るのは、18時30分であった。
そのバスが最終であったので、それに間に合わなければ、もうおしまいであった。
彼は40分くらい、バス停の前で、待っていなければいけなかった。
真っ暗なバス停の前で、彼は、ボロ雑巾のように疲れ果てながら、バスを待ち続けていた。
バスの運転手が、真っ暗なバス停で待つ彼の姿に気づかず、通り過ぎてしまうことを、彼はひどく恐れていた。
40分待って、ようやくバスがやってきた。
バスは、止まってくれた。
助かった……
と、彼は思った。
彼はそのバスに乗り込んだ。
バスは奥多摩駅まで移動した。
そして彼は、なんとか奥多摩駅に、たどり着くことができた。
二日間にわたる、彼の苦しかった登山は、ようやく終わりをむかえることができた。
(完)