谷川岳で死にかけました
投稿日
2018/02/10
山頂の雪庇にやられました。
山頂には標柱があって、標柱の向こうは踏み跡の無い雪の地面がありました。
私はそこからの景色を見ようと思って、足を踏み出すと、いきなり地面が崩れました。
死んだ、と思いました。
しかし不幸中の幸いで、途中で足が雪の中に突っ込んで、落下を逃れました。
途中で止まった場所は、山頂の1.5メートルほど下でした。
山頂のすぐ下です。
しかし自力では全く上がれません。
ヘタに動くと雪が崩れ、落ちてしまいます。
幸い親切なご夫婦がそれを見てて、すぐに警察に連絡してくれました。
そしてこまめに面倒を見てくれました。
そして谷川岳警備隊の方が、ヘリコプターで来てくれました。
救助の方は私を引っ張りあげてくれ、そして、ヘリコプターにも引っ張りあげられました。
ヘリコプターの迫力はすごかった。
救助の人、すごい親切でした。
温かいお湯を飲ませてくれたり、カップラーメンを食べさせてくれたり、消防署の人を読んでくれて、体調を調べてくれたり。
その他にも色々とお世話になりました。
おかげで無傷で帰ることができました。
命を救われました。
谷川岳警備隊の方たちと、迅速に警察に通報してくれて、その後もいろいろと面倒を見てくれたご夫婦に本当に感謝です。
谷川岳の山頂が、電話が通じることにも救われました。
下山しないと電話が通じないということだったら、無事には済まなかったと思います。
思ったのは確保です。
岩登りの心得えと、岩登りの道具があれば、自力で楽々脱出できたと思います。
そういう道具と心得えがあれば、たった1.5メートル、自力で登れたはずです。
救助の人の手を煩わすこともなかったし、ヘリコプターの出動の必要もなかった。
でもそんな心得えも道具もなかったので、大変ご迷惑をかけてしまうことになってしまった。
あの 雪庇、ちょくちょく事故があるそうです。
下まで落ちたのに、無傷で済んで、自分の足で下山した女性もいるようです。
でもわたしの見たところ、骨折くらいは避けられないと思ったし、落ち方が悪かったら首の骨折ったりとか、頭打ったりして、死ぬ可能性も低くないと思います。
冷静になって下を見たときには、骨折くらいしそうだけど、命は助かるかもしれないと思って、少しだけ安心しました。
完全に死ぬしかない、という高さではなかった。
でも幸い、落ちずに済んだ。
谷川岳警備隊の方たちと、親切なご夫婦のおかげです。
心の底から感謝です。
人間死にそうな状況になったとき、心底生きたいと思います。
どんな犠牲を払ってでも、生きたいと思う。
生きれるなら、救助費で500万円かかっても、それでも生きたいと思う。
絶対に死にたくないと思う。
山で遭難して死ぬ人たちは、本当に気の毒だと思います。
絶対に死にたくなかったはずです。
それでも死んでしまい、その恐怖はどれほどのものであったか。
どれほど無念であったか。
気の毒でなりません。
そして今回私は死を免れたことに、本当に感謝です。
死は突然やってくる。
誰にでも起こりうる。
有名登山家の加藤文太郎は雪の中で眠ってて平気であったと、孤高の人、という小説にありましたが、とんでもない。
一時間でも下半身が雪で埋まっていると、かなりヤバい状態になります。
体はかなり衰弱します。
わたしも非常に衰弱していると、救助の人に見なされました。
とにかく救助を待って壁にへばりついている間中、死の恐怖のため、半泣き状態です。
44才の大人の男性であることは全然関係なく、死の恐怖に直面すると、子供のように半泣き状態になります。
その状況で声をかけてくれる人たちすべてに、哀れっぽいような、半泣き状態で話をします。
すべての人たちに対して、わたしを助けてください、お願いします。という態度になります。
まあ他人の不幸は蜜の味ともいいますし、けっこう落ちかけてる私を好奇の目で見てる人もいた気がします。
ヘリコプター来るの見たいなーとか呑気に上で言ってる声を聞くと、人の生き死になんて、所詮他人事なんだなーと思ったりします。
とは言っても、そういう人たちもそういう人たちなりに心配してくれてますし、なにか力になってくれようともします。
そこは感謝すべきでしょう。
ほんと、登山ではいざというときには周りに助けてもらわないとどうしようもないので、やっぱ普段から、行き交う人たちとの挨拶とか、必要だなーと思います。
いざというときには、助け合わないといけません。
私が私みたいな状態になってる人に直面したとき、その親切な夫婦のような対応が果たしてできるのか?
それは実際にその状況になってみないとわからないとこですが、いざという時の登山者同士の助け合いは必要だと思いますし、親切なご夫婦がそれをしてくれたので、私は無事に済むことができました。
本当に感謝です。