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デジタルノベルコンテストVol.1(5)
投稿日
2024/10/21
2024年10月21日。月曜日。12時37分。古里駅のホームで温かい濃い茶を飲んでいる。昨日、「デジタルノベルコンテストVol.1」への応募作品の推敲を、かなりみっちりした。もう、「ほぼ応募できる状態」と言って良いだろう。『ドラゴン桜』と『宇宙兄弟』の第一巻も読み終えた。『働きマン』の第一巻もすでに読み終えている。それらは賞の主催者の株式会社コルクのCEO――佐渡島庸平大権現が過去に担当していた漫画たちである。どれも抜群に面白く、第二巻も読みたくなる。
今日もまた家に帰ってから、「デジタルノベルコンテストVol.1」への応募作品を推敲しようと思っている。おそらくまた修正点は見つかるだろう。ほとんどキリがない。一度これで良いと思った箇所も、後日あらためて見たとき、修正したくなったりする。
文豪の小説を読んで、その文章に影響を受けて、また自作を読むと、また直したい箇所が色々と見つかる。文豪ごとにその文章には個性がある。よく使われる漢字とか言葉とかある。例えば夏目漱石は「美しく」を「美くしく」と書く。「入る」を「這入る」と書く。改行とか読点とかも、小説家ごとに、使い方が違う。筒井康隆は実験的に読点がまったく無い小説を書いた。田中英光の小説は読点がとても多い。夢枕獏は改行がとても多い。夏目漱石と夢枕獏の文章は、まったく違う。夢枕獏の文章を読んだ後は推敲時、もっと改行を多くしたくなる。夏目漱石の文章を読んだ後は推敲時、もっと読点を減らしたくなる。手本にしたい文章はたくさんある。村上春樹の文章も、もちろん手本にしたい。
純文学の文章、エンタメ小説の文章と、分けることもできる。夢枕獏はエンタメ系の小説家と云えるだろう。エンタメ小説の文章は読みやすくなければいけない。純文学の文章は読みやすさよりも、知的さが重視されている。読みにくい文章も多いが、抜群に知的である。三島由紀夫の文章も知的である。
村上春樹の文章は読みやすく、知的、スマート、お洒落、味がある。村上春樹の一番最初の読者は、村上春樹の細君であるらしい。まず細君に読ませて意見を聞いて、細君の気に入るまで何度でも直す。だから村上春樹の文章は、細君と二人三脚で作られた文章である。
村上龍の『限りなく透明に近いブルー』の文章は面白い。これはずっと五感の描写のみで進む。語りがほとんど無い。これはかなり異形な面白い文章である。その面白さに普通の人は気付けない。私も最初に読んだ時は、まったく気付かなかった。しかし最近それに気づき、むうっと唸った。
それでもまだ私が気付けていない小説の味わいはたくさんある。芥川賞受賞作品のすべての作品を面白い作品だとは思えていない。『苦役列車』『コンビニ人間』『火花』『蛇にピアス』は、わかりやすく面白い芥川賞作品。『abさんご』『終の住処』は、どこが面白いのかさっぱり分からない芥川賞作品。これはもう読者のほうにも、文学作品を味わうための訓練が必要である。100人読むと99人が面白くないと思う有名な文学作品もある。『ユリシーズ』『失われた時を求めて』とか、圧倒的に有名な小説だが、一体どこが面白いの? ランボーの詩なんかも、一体どこが面白いの?
15時57分。我が家にいる。「デジタルノベルコンテストVol.1」への応募作品の推敲、ざっくりと読んで、たった一箇所しか直すところがなかった。これはもう明日にでも応募して良い状態だ。あるいはまた明日、またざっくり読んでみようか。締切日は10月25日。そんなに急いで応募しなくても良い。