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デジタルノベルコンテストVol.1(8)
投稿日
2024/10/24
2024年10月24日。木曜日。8時42分。小作駅のホーム。温かいほうじ茶を飲んでいる。
「デジタルノベルコンテストVol.1」への応募作品の推敲。気になるところは少しあったが、特に直さなければいけないようなところは一つも無かった。さらにその応募作品を、応募直前のこのタイミングで、〝面白い〟と感じることもできた。機は熟した。もう完全に応募できる状態である。今日応募することもできる。しかしせっかくなので、応募は締め切り日の10月25日にしようかと思う。つまり明日。
昨日は願掛け気分で、「デジタルノベルコンテストVol.1」を主催している株式会社コルクのCEO――佐渡島庸平大権現が、講談社の週刊モーニング編集部で働かれていたとき担当されていた大ヒット漫画作品である、『ドラゴン桜』『宇宙兄弟』『働きマン』の第二巻を、一冊ずつ読んだ。さらに株式会社コルクに所属している〝現代を思考し続ける小説家〟平野啓一郎の『日蝕』も読み始めている。平野はこの小説で23歳にして第120回芥川賞を受賞している。当時平野は〝三島由紀夫の再来〟などと言われたものである。確かに『日蝕』を読んでいると、三島由紀夫っぽいと感じた。平野は京都大学法学部卒業。三島由紀夫は東京大学法学部卒業。平野の『日蝕』はいかにも学力の高い人が書いた小説という印象を持った。同じ印象を三島由紀夫の『豊饒の海』を読んだ時も持った。
平野は1975年6月22日に愛知県蒲郡市で生まれ、1歳で父親(享年36)を亡くし、2歳から18歳まで母親の実家があった福岡県北九州市八幡西区で育った。私立明治学園中学校を経て、福岡県立東筑高等学校、京都大学法学部を卒業した。
中学生の時からすでに滅茶苦茶頭が良かったのだろう。片親である。決して恵まれた家庭環境では無かった。きっと早くから大人になることを余儀なくされ、早熟の小説家が誕生日したのだろう。その著作には『三島由紀夫論』というものもあり、それは2023年に第22回小林秀雄賞を受賞している。
9時23分。青梅駅。電車の中。早く出発してくれと思っている。隣の席は空いている。出発してくれた。人が来た。結局、隣に人が座った。席を立ち、移動する。隣に人が座っているよりも、広い空間で立っていたほうが良い。
平日なのに車内は随分人が多い。席はほとんど埋まっている。電車は宮ノ平で止まっている。今日も古里駅のセブンイレブンに行って、何かを食うことになる。それから青梅丘陵をハイキングという流れ。
ウィキペディアを見ると、平野はずいぶん多作である。一女一男の父親。
平野は小説の賞に応募することなく、『新潮』の前田速夫編集長に直接自作の『日蝕』を持ち込んで、読んで貰い、前田に認められて小説家になった。それで当時の私は、平野のことを、新人賞に応募することなく、ズルをして小説家になった奴だと思った。しかし『日蝕』はしっかり芥川賞を受賞している。その後も様々な賞を受賞している。
1999年 - 第120回芥川龍之介賞(『日蝕』)
2009年 - 平成20年度芸術選奨文部科学大臣新人賞(『決壊』)
2009年 - 第19回Bunkamuraドゥマゴ文学賞(『ドーン』)
2017年 - 第2回渡辺淳一文学賞(『マチネの終わりに』)
2018年 - 第70回読売文学賞(『ある男』)
2023年 - 第22回小林秀雄賞(『三島由紀夫論』)
(ウィキペディアより)
明らかに小説家になるために生まれてきた人物である。平野が片親だったことも初めて知った。
恵まれた家庭で生まれ育った小ずるい奴だと思っていた。平野の小説を読んでみたいとはまったく思わなかった。小ずるい奴が小ずるい小説を書いているのだろうと思っていた。唯一読んだ平野の短編小説も、女性編集者とホテルに行って性交をする話で、主人公はチャラチャラしていて、あんまり良い印象の小説ではなかった。
平野はズルして小説家になった奴という印象を持っていたが、しかし平野の全作品を読めば、きっとその印象はガラリと変わるだろう。賞を受賞した『決壊』『ドーン』『マチネの終わりに』とか、映画化した『ある男』とか、『三島由紀夫論』とか、気が向いたら読んでみようか。