登山サークル アウトドアチャイルド

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<<「御前山のご利益(3)」
シャーマン修行
投稿日
2024/10/27
「走れメロス」を知らない者はいるだろうか?
 そうは思ったが、色々考えた結果、それを選ぶことにした。紀香は高校中退だし、普段は漫画しか読まないとのことなので、一か八か、メロスにかけてみる。
 それでも勿論、多少は書き換える。
 メロスは「直樹」に、セリヌンティウスは「紀香」になる。「シラクスの市」は「尾張国」として、「暴君ディオニス」は「織田信長」とする。セリヌンティウスの弟子のフィロストラトスは、紀香の兄にしよう。
 メロスは友情の物語だが、それを恋愛の物語に変える。
 さあ、賽は投げられた――。
 新宿の料理店に、三十分前に到着、紀香を待ち構えた。
 カバンには、改造小説を入れている。
『進め直樹』――四百字詰め原稿用紙で二十七枚になった、「走れメロス」の改造版である。
 紀香は、五分遅れて、姿を現した。
「ごめんね、待った?」
「いえ、今きたばかりです」
 僕は五十歳。紀香は四十七歳。
 まずはビールで乾杯した。
「今日はすみません、お時間取ってもらって。お仕事は順調ですか?」
「全然ダメよ。人間関係が大変。できれば転職したいわ」
 十八歳から水商売で働いていた紀香。今は、保育園で働いていた。仕事がきつく、人間関係が大変で、給料が安いらしい。
「直樹くんの小説、持って来てくれた?」
「はい、もちろんです」
「やったあ! 見せて見せてー」
 早速、『進め直樹』を提出した。
 紀香はパラパラとそれをめくる。
「あ、直樹くんが出てる! ふふふ、『紀香』って、私のこと?」
「はい、紀香さんと僕が小説のモデルになってます。お兄様も出て来ますよ」
「へえ、なんか文章うまいね。尊敬しちゃうなあ。これ、どんな話なの?」
「これは、直樹と紀香との、恋愛小説です。
 敵は織田信長。
 信長から処刑されそうな紀香さんを、僕――いや、直樹が、救出する。そして最後はラブラブ、信長とも和解。
 そんな、ハッピーエンドの話です!」
「そうなんだ。なんか照れちゃうなあ。わたし、ふだん小説はぜんぜん読まないんだけど、ちゃんと内容、理解できるかなあ」
「大丈夫だと思いますよ。難しい話ではないですし。気楽に読んでいただけると嬉しいです!」
「わかった。家に帰ってから、じっくり読んでみるね」
「ありがとうございます! でも他の人には、絶対に読ませないでください」
「どうして?」
「これは、紀香さんだけのために書いた小説ですから」
「えー、お兄ちゃんに見せるのもダメ?」
「絶対にダメです。申し訳ありませんけど」
「わかったー」
 というわけで、なんとか小説を提出することができた。
 苦肉の策、名作を改造して、提出したというわけだ。それも自作感を出すために、わざわざボールペンで、原稿用紙に書き写して。
(とうとうやっちまった……)
 紀香を騙した。
『進め直樹』は99・9%、「走れメロス」である。
 彼女がもしメロスを読んでいたら、一発アウトである。しかし読んでいなければ、僕のことを、太宰治レベルの才能の持ち主だと、勘違いしてもらえるかもしれない。
 そうなると、結婚もありえる。
 僕は今までの人生で、女性と付き合ったことは一度もない。
 紀香とは、婚活パーティーで知り合ってから、もう八年になる。今でも繋がっている女性は、紀香だけである。
 僕は紀香との結婚を、まだ諦めていない。彼女を逃したら、もう結婚は難しいだろうとも思っている。
 僕はフリーランスのITエンジニアであり、小説家志望でもある。
 お金が貯まると無職になって、本を読んだり、小説を書いたりする。すぐに無職になるので、収入は不安定である。
 以前紀香に、「結婚を前提に付き合って頂けませんか?」と頼んでみたが、断られた。
 断られた理由は、僕の収入が安定していないからだと思う。
 しかし紀香の婚活もうまくいっていない。
 そして紀香も四十七歳になり、僕との結婚を、再び考えてくれるようになった。
 それで、「書いた小説を一度読ませて」と、言われたのである。もし才能があるようだったら、小説のことも応援してくれるらしい。
 僕に小説の才能があるのかどうか? それを付き合えるかどうかの判断材料の一つにしたいのだと思う。
 だから僕は、下手な作品を提出するわけにはいかなかった。才能が無いと見なされたら、もう関係は終わってしまうかもしれないのだ。
 そんな紀香から、ラインが届いた。
『「進め直樹」、読んだよ。
 直樹と紀香、最後はラブラブだね(笑)。すっごく照れちゃう。
 読みやすくて、とても面白かったよ。よく勉強してるね。びっくりした。教科書で見たことがあるみたいな話だった。
 直樹くん、本気で小説頑張ってたんだね。それがよく伝わってきた。見直しちゃったよ〜。』
 そのラインの内容は、僕を有頂天にした。
『ありがとうございます! そんなに褒めていただいて、うれしいです! でも他の人には、絶対に読ませないでくださいね!』
 順調だ。また近々、会ってくれるという。
 人生初の恋愛、そして結婚。それはもう今では完全に、僕の、人生最大の目標になっている。
 その可能性は、まだ消えていない。紀香と、お付き合いができるかもしれない。
 しかし一度ついた嘘は、永久につき通さなければいけない。
『進め直樹』を自分の作品に近づけるため、太宰治の全集を揃えよう。そして徹底的に読み、その偉大な作風の、完コピを目指す。
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