蛭ヶ岳の登山レポート
イベント日時
2019年5月4日(土)
報告者
MK
2019年5月4日、女性2人、男性1人で丹沢の蛭ヶ岳に登りました。
蛭ヶ岳の標高は1672メートルで、丹沢山塊で一番高い山です。
待ち合わせ場所は渋沢駅の改札口付近です。
7時50分に待ち合わせしました。
待ち合わせ場所に集合して、簡単に自己紹介をしました。
Sさんの登山歴は4年くらいで登山ツアーでいろいろな山に登られているとのことでした。
山の装備は万全の状態で来られました。
Iさんの登山歴は10年以上のようです。
よく友人と一緒に登山されているらしいのですが、そのご友人があまりきつめの山を好まれないらしく、軽めの登山しかできていなかったのですが、きつめの山も登りたいと思われれて、今回の蛭ヶ岳の登山に参加していただけたようでした。
Iさんも山の装備は万全のようでした。
SさんとIさんは同年代くらいの方たちのようでした。
簡単な自己紹介を済ませてから早速バス停に移動しました。
少し前には大倉行きのバス停は長蛇の列ができていたのですが、われわれがバス停に着いたタイミングはちょうど前のバスが出発した直後だったみたいで、あまり人は並んでいませんでした。
バスは8時8分出発だったはずですが、この日は臨時便も出ていたらしく、8時8分になるまえにバスは出発したようでした。
われわれは前のほうに並んでいたので、バスの中では座ることもできました。
出発して15分後くらいにバスは大倉バス停に到着しました。
そしてそこでお手洗いなどを済ませてから、さっそく登山開始です。
この日はとても良い天気だったので、登山者の数もとても多くいました。
見晴茶屋、駒止茶屋、堀山の家、花立山荘と経由して、塔ノ岳の山頂に登りました。
空には雲が多くて、残念ながら富士山の姿は見えませんでした。
通称バカ尾根と言われる大倉尾根には、みなさん苦労して登られていました。
塔ノ岳の山頂に到着したのは12時くらいでした。
そこで30分程度の食事休憩をしました。
それから次は丹沢山に向かって出発しました。
丹沢山に向かう途中で天候は悪化しました。
大粒の雹が降り始め、雷もなり始めました。
天気予報は晴れであったのですが、大粒の雹が降り、雷もなり始め、登山の続行を躊躇させるような悪天候になりました。
それでひとまず今回は蛭ヶ岳まで行くことは中止して、丹沢山の、みやま山荘で宿泊する形に、計画変更を予定しました。
丹沢山に到着したときには天候はだいぶ回復していました。
雨や雹もやみ、雷の音も遠くなりました。
日も少しさしてきました。
みやま山荘で「三人宿泊したいんですが」というと「すみません。もう予約でいっぱいで宿泊できません」と言われてしまいました。
時刻はまた13時30分です。
このまま大倉バス停まで下山するか?
あるいは下山途中にある山小屋、尊仏山荘、花立山荘など、どこか適当な山荘で一泊するか。
しばしみなさんと相談しました。
それで天候も回復しはじめたみたいだったので、下山はせずに、そのまま蛭ヶ岳まで進むことになりました。
丹沢山から蛭ヶ岳までは二時間程度の道のりです。
しばし相談をした後、蛭ヶ岳にむかって出発しました。
不動ノ峰、鬼ヶ岩ノ頭と経由して、蛭ヶ岳に向かいました。
蛭ヶ岳に向かう途中で、再び天候は悪化しました。
雹が降り、雷が鳴りました。
そんな中、しばらく歩き、ようやく蛭ヶ岳の山頂に到着しました。
悪天候のため、山頂から風景は真っ白でした。
山頂に到着して、蛭ヶ岳山荘で宿泊の手続きをしました。
きつい一日の登山も終わり、山荘で休息です。
悪天候だというのに、山荘の中にはたくさんの人たちがいました。
親子連れも何組かいました。
GWのため、特に宿泊者数が多かったようです。
蛭ヶ岳山荘では、最初にパソコンの画面による山小屋案内のようなものを見ました。
それを一通り見ると、山小屋に関する一通りのことを説明されるようなものです。
山荘のスタッフの方たちはとても気さくな方たちでした。
にこやかな笑顔で宿泊者たちに話しかけ、山荘の雰囲気を明るいものにしていました。
寝る場所ですが、人が多かったので、SさんとIさんは同じ布団で寝ることになったようでした。
私は体が大きかったので、二段ベッドの上の二人分のスペースを一人で占領することを許されました。
「特等席じゃないですかー。いいですねー」と、SさんとIさんは羨ましがっていました。
「この方は体が大きいから仕方がないですね。追加料金貰いたいくらいですよ。ははははは」と、山小屋の人も明るく冗談を言っていました。
山小屋に到着してからは私は休憩スペースの一隅に座って大福、塩トマト、ゼリー飲料、お茶などで、食事を済ませました。
SさんとIさんは自炊スペースに移動して、バーナーで温かい食事を作って食べておられたようです。
Iさんは缶ビールを一本だけ購入されていました。
休憩スペースでしばしのんびりしていると、いつの間にか天候は完全に回復したようでした。
富士山見えた!と、子供が叫んでいました。
私は外に出て、富士山を見に行きました。
まだ大部分は雲で隠れていましたが、ふもとの部分だけ富士山の姿を確認できました。
外に出てぶらぶらしながら、翌日の下山について考えました。
同じ道のりをそのまま下山する予定です。
しかし檜洞丸経由で、西丹沢ビジターセンターまで行く道の方が面白いのではないだろうか。
ただ地図を見ると、ビックリマークがいくつかあります。
ビックリマークは地図の説明によると、「通過に注意を要する所」となっています。
下山は来た道をそのまま戻るより、檜洞丸経由で西丹沢ビジターセンターまで行くほうが面白いに違いありません。
しかしビックリマークがいくつかありますし、私はその道のりを歩いた経験もありません。
しかしSさんもIさんもかなり登山には慣れている方たちです。
しかしコンパスでの登山届けには、来た道と同じ道で下山すると、もう書いてしまっています。
蛭ヶ岳山荘での宿泊手続き時の記述でも翌日の下山ルートは大倉バス停までと書いてしまってます。
Sさんは登ってくるときに、ひざの痛みも訴えておられました。
ひとまずはSさんとIさんのご意向を伺ってみようと思い、Iさんたちが食事をしている自炊スペースに行ってみました。
SさんとIさんはとても意気投合したみたいで、お互い身を乗り出して熱心に何かを話しておられました。
同年代の女性同士なので、なにか共通する話題があったのだと思います。
Iさんはビールで少し酔っ払ってもいたみたいで、このまま朝までずっと語り明かすような、椅子に根を張ったような感じで、楽しく会話をされていました。
そんなガールズトーク真っ盛りな状態の中、突然私が現れて、お二人の目の前に座りました。
すると、今までしていた会話がピタッと止まりました。
それで私は下山ルートについてお二人に相談してみました。
お二人は、「檜洞丸からの下山ルートのほうが面白いのであれば、そちらのほうが良さそうですね」と、おっしゃっていました。
私はお二人のご意向を伺ったあとは、せっかくのガールズトークの邪魔をしては悪いと思い、話のきりのよいところでその場を後にしました。
お二人はそのまま消灯時間までずっとその場で会話をされていたみたいでした。
お二人のご意向を伺ってみた上で、下山ルートを考え、それでもやはり来た道をそのまま下山する形が一番良いだろうという結論になりました。
Sさんはヒザの痛みを訴えておられましたし、かなりお疲れのご様子でもありましたし、檜洞丸経由の道のりは地図上にビックリマークもいくつかあり、私も歩いたことがない道のりです。
私一人での登山ではありませんし、今回は女性お二人をお連れしている登山です。
ここは安全面を優先して来た道をそのまま戻る下山ルートにすることが一番妥当でしょう。
とにかく、このくらいのレベルのきつめの登山の場合、ケガなくムリなく安全に下山する。
それだけで充分でしょう。
蛭ヶ岳から檜洞丸の道のりは面白いらしく、私は常々歩いてみたいと思っていたのですが、それは今回ではない。
またの機会にすることにしようと思いました。
山小屋の寝る場所、私は二段ベッドの上の二人分のスペースを占有することを許されました。
私は4時に目覚ましをセットしてから、もう18時には寝床に入りました。
山小屋の消灯は20時です。
Iさんたちは消灯の10分前くらいに寝どこに入られたようです。
私が一度寝て起きてみると、もう消灯時間が過ぎたようで、小屋は真っ暗になっていました。
かなり大きなイビキをかいている方がいました。
そしてそのお友だちらしき方が、「おい、イビキうるさいよ。いったん起きろ」と言って、一度イビキの方を起こそうとしていましたが、イビキの方は「いたい、いたい」と、言うばかりで一向に起きる気配がありません。
それでそのご友人もイビキの主をいったん起こしてイビキをやめさせることを諦めたようでした。
私は18時に眠り、「少しは眠れた」と思って、時刻を見てみると、まだ22時でした。
とても大きなイビキが部屋に鳴り響いていました。
そのイビキのため、SさんとIさんはほとんど寝れなかったみたいです。
22時くらいに一度ヘッドライトをもってお手洗いに行って、再び朝まで眠りました。
そしてスマホの4時の目覚ましで目を覚ましました。
私はトータル4~5時間は寝れたと思います。
朝になると、天気はすっかり晴れになっていました。
とても見事な大きな富士山の姿をはっきり見ることができました。
朝焼けや、日の出の太陽の姿もとても美しく見えました。
みんな外に出て、写真を撮ったり、風景をうっとり眺めたりしていました。
朝5時になると、もうすっかり外は明るくなっていました。
5時くらいはまだ薄暗いのかと思ったら、もうすっかり明るくなっていました。
5時30分くらいに下山を開始する予定ではあったのですが、少し早めの5時15分くらいに下山をすることになりました。
山小屋の人に軽く挨拶をしてから、さっそく下山を開始しました。
下山の道のりは、とにかくとても素晴らしい景色の連続でした。
雲一つない富士山の大きな姿がいつも見えました。
前日の悪天候がウソのようでした。
めったにないような登山日和の一日でした。
そんな中、のんびり下山しました。
蛭ヶ岳を出発して、鬼ノ岩、不動ノ峰と経由して、丹沢山まで移動しました。
丹沢山から竜ヶ馬場、日高と経由して、塔ノ岳まで移動しました。
塔ノ岳からは花立山荘、堀山の家、駒止茶屋、見晴茶屋と経由して、大倉バス停まで戻ってきました。
塔ノ岳からの下山時に、大きなプロパンガスの容器のようなものを担いで登ってくる男性を見かけました。
その男性は、通り過ぎるときに「6357回目の登山です。自称丹沢チャンピオンです。」というようなことをおっしゃっていました。
それを聞いてIさんたちは「すごい!」と驚いていました。
「自称じゃなくて、自他ともに認める丹沢チャンピオンですよねー」とも言っていました。
塔ノ岳まで一日に三回くらい荷物を運ぶ方がいると聞いたことがあります。
もしかしたらその日お見かけしたのはその方だったのかもしれません。
下山ではヒザを痛めていたSさんは、とても苦労して歩いているようでした。
それでもなんとか今回のゴールの大倉バス停まで到着しました。
下山のときに、ちょっとした会話の行き違いがあったように思いました。
登山後の温泉について、「このあと温泉に入られるようでしたらご案内しますよ。特に打ち上げなどはなく、温泉ではゆっくり気を使わずに気がねなく過ごされると良いと思います。」
みたいな事を言ったつもりだったのですが、どうも言い方が悪かったみたいで、
「この後温泉に入って打ち上げをしましょう」みたいな風に伝わってしまったみたいです。
そうではなく、私がご提案したつもりだったのは、温泉に入るのであれば、温泉場までご案内する。
そこでお別れする。
あとは、気兼ねなく、気を使わず、ゆっくり温泉で疲れを癒していただく。
というものでした。
しかし、この後温泉に行って、打ち上げして、最後の最後まで気を使ってください。
みたいなメッセージとして、伝わってしまったみたいです。
それでなんか、下山の後半は少しだけ気まずい感じになってしまいました。
私は伝え方を間違えたようであることに気付きましたが、その誤解をばん回するのは百万の言葉を使っても難しそうな感じがしたので、もうそのまま放置しました。
そのためちょっと印象が悪くなってしまったかもしれません。
今回せっかくご一緒して頂けたお二人に誤解されたままですと、少し心苦しいので、この場で少しご説明してみました。
下山の後半でちょっとした行き違いによる気まずさは残ってしまいましたが、無事に丹沢山塊の最高峰の蛭ヶ岳に登ることができて、たくさん楽しい会話もできて、とても楽しく充実した登山であったと思います。
ご一緒していただいたお二人にも、とても楽しい登山をお付き合いいただけて、大変感謝です。
無事下山も完了して大倉バス停に到着して、バスに乗り込み、渋沢駅まで移動しました。
そして今回は渋沢駅でみなさんとはお疲れさまでしたの挨拶をしました。
私はみなさんとお別れしたあと、伊勢原駅に行って、マユというトンカツ屋に行って、からあげ定食を食べました。
その後は、東海大学前駅の近くの、さざんかという温泉施設に行って、ゆっくり湯につかり、サウナに入り、登山の疲れを癒して、身も心もさっぱりしました。
そして帰路につきました。
今回の登山はそのような感じでした。
丹沢山塊の最高峰、蛭ヶ岳の登山はとても充実した登山でした。
かわりやすい山の天気というものも、しっかり経験しました。
ご一緒したお二人の女性がかなり登山の知識が豊富な方たちだったので、いろいろと勉強にもなりました。
山小屋でのお二人のガールズトークにまったく入っていけなかったのも、いろいろと考えさせられることがありました。
お二人があれだけ意気投合したのは、お二人がきっと本音で語りあっていたからではないかと思います。
私はあまり人に本音を語らず、おそらく人と打ち解けにくい性格なのだろうと思います。
人間関係、人付き合いについての、ヒントなども、少しもらえた気がします。
今回の登山は楽しく充実した登山であっただけでなく、いろいろと勉強になることもありました。
蛭ヶ岳の登山はなかなか良いものだと思いましたので、またぜひ開催してみたいと思います。
今度は西丹沢ビジターセンターから檜洞丸経由での蛭ヶ岳登山なども検討してみたいところです。